仕事の本質とは?無職が1年間考えた結論
2021/7/29
職業を求められる
業界を求められる。
そうやって、私たちは、いつも、選択を迫られている。
何となくiT業界に入って、その流れでプログラム書いて、SEという名前を付けられて、転職して、データ分析してたら、業種が盛り上がって、データサイエンティストとかいう名前を付けられた。そして、今、無職というラベルを自分で付けた。
そこには「どうしてもこれがやりたい」という強い意志があったわけじゃない。小さい頃からずっと憧れていた職業じゃない。
でも、プログラム書いたり、データ分析したりっていう実務がおもしろかった。
みんなでワイワイしながらプロジェクトをやってるのも楽しかった。
若者を教育することで、自分も成長した。
人をマネジメントすることで、多様性を知った。
何をしたいわけじゃなかった。
自分の目の前にあることをやったら、結果としておもしろかった。
だから、続けた。
飽きたら、やめた。
それだけだった。
そこにあるのは「どうするか?」だけだった。
目の前にあることを「ただ、やってみる」だけだった。
って聞かれることはない。
子どもの頃に「何になりたい?」って聞かれても「どうしたい?」って聞かれてない。
「どうしたい?」はやってみないとわからないから、どうしようもないのだが。
しかし、
大人になっても、仕事をどうしたい?
って聞かれることはない。
でも、実際は、実務は、「仕事をどうしたい?」の答えしかなかった。
どう ( how ) の答えしかなかった。
「仕事って何?」って、たくさんの本を読んで聞いて、知識を得てきた。
しかし、結局は、
それらは、インプットでしかない。料理のための材料でしかない。
自分で思考する。材料を元に調理する。
そして、アウトプットを出す。料理を作る。
材料を眺めていても、料理は完成しない。
材料を調理しないと、料理は完成しない。
知識は材料というきっかけでしかない。
そこから「自分で思考する」という調理の過程があって、はじめて、自分の答えが、見つかる。
そして、それは、材料の原型を留めてなかった。
・好きなこと
・得意なこと
・人の役に立つこと
・自己実現
そこには「何が?」という知識しかなかった。
「どうやって?」という過程はなかった。
「何が?」という点だった。
「どっやって?」という線はなかった。
点を探していても、線は見つからない。
「何が?」という、点と点をつないでも、それは、「何と何が?」にしかならない。
「何が?」という点の概念を省いてしまって、時間軸という点と点を結んだ結果が、「どうやって?」という線になる。
「何をやって」という手段があって、「どうする」という目的があった。
問題と答えが、逆だったから、気付かなかった。答えを探していたら「問題が答えだ」と気付いた。そして、その問題だと思っていた「答えから、問題を考えること」が、正しいアプローチだった。
そして、この知識は、仕事の本から、得たものではない。全然、別のところにあったアイデアを、自分ごとにした。自分ごとしたときに、「仕事って何?」という自分の思考とリンクした。
コレが、「アイデアとは、新しい場所に置かれた古いアイデアのこと」ということか!と納得した。
「どうやって?」という目的がはっきりしたなら、もう、解決したようなモノだ。問題を見つけるのが、1番難しい。
まさか「何が?」が手段だなんて。
子どもの頃から刷り込まれてきた、「何になりたい?」が、本質じゃない。目的じゃない。「どうしたい?」が目的で、そのために「何を?」という手段がある。
そして、この仕事の本質という答えは、自分が仕事を経験したからこその答えだ。自分の経験から答えが見つかったということは、結局、モノゴトの答えは、自分の中にある。そして、自分の心の声に気付くには、考えぬくことが必要だ。
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