「武器になる哲学」からの思考

【本要約】武器になる哲学4 〜 他人
私という個人は、分かった後と前では、違う人間になる。なぜなら、昨日の自分では、わからなかったことが、今日の自分は、わかったからだ。「わかる」ということは、「かわる」ということである。
2021/7/26
私たちは、他人の感情は分からない。他人の感情を推し測ろうとするが、そんなことは、かなわない。人の気持ちは、その人、本人しか分からない。
私たちは、他人の価値観を、会話によって、推測することができる。会話によって「この人はこういう価値観を持って生きているんだな」と思う。そして「価値観って人それぞれだよな」と思う。
” 正しい ” や ” 間違い ” というのは、個人の価値観で決められる。” ある人には正しく ” ても、” ある人には間違いだ ” ということがある。
- 「お金がすべてだ」という人がいる。
- 「お金より愛だ」という人がいる。
- 「愛より趣味だ」っていう人がいる。
- 「趣味より食事だ」っていう人がいる。
そこに存在しているのは、個人の価値観でしかない。それが、” 正しい ” や ” 間違い ” は、個人の問題なのだ。
そして、多くの人に、” 共通な正しいや間違い ” が「常識」と呼ばれている。
常識は安全だ。” みんな ” という目に見えない人に守られているような安心感がある。
でも、実は、” みんな ” は存在しない。” みんな ” は、概念である。私たちの個人集まりを ” みんな ” と呼んでいるだけだ。
本来は、個人しか存在しない。
” 個別の正しいや間違い ” という価値観を持った人しか存在しない。
- みんなは、幻想である。
- みんなは、存在しない。
- 常識は、幻想である。
- 常識は、存在しない。
個人しか存在しない。
「自分という個人が存在している」というのが、たったひとつの本質である。
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