【本要約】予想どおりに不合理

【本要約】予想どおりに不合理

2020/12/6

科学は実験の積み重ねである。科学に携わる人は、仮説を検証する実験方法を見つけることができるなら、新説を唱えることができる。

モノゴトの働きや人の行動についての疑問がある。だから、科学は、自分が興味を持ったことを確かめる方法とチャンス与えてくれる。科学者は、人の行動を研究する道へと進んだ。

さらに、『経験を積んでもそこから学ぶことなく失敗を繰り返してしまう状況』について深く研究しようと決めた。

経済学では、合理性と呼ばれる基本概念が、経済理論や予測や提案の基盤になっている。

■相対性の真相

人はモノゴトを絶対的な基準で決めることはない。相対性に着目して、価値を判断する。

多くの人は、自分の求めているものが何かわからずにいる。状況とセットになった時に、自分が求めていることに気付く。自分の生き方さえ、他人の生き方を見たり聞いたりして、はじめてわかる。全ては相対的である。

人はモノゴトを比較したがるが、比較しやすいものだけを一生懸命に比較して、比較しにくいモノは無視する傾向がある。

■需要と供給の誤謬

人間行動の法則…人に何かを欲しがらせるには、それが簡単には手に入らないようにする。

アンカリング…人は新製品をある価格で買うと、その価格が刷り込まれる。

恣意の一貫性…例え、最初の価格が恣意的でも、それが意識に定着すると、現在の価格ばかりか、未来の価格まで決定づけられる。

ひとつの品物について出してもいい価格が決まると、同じカテゴリーのべつの品物にいくら出すかも、最初の価格(アンカー)との比較で判断される。

ハーディング…他人が前に取った行動をもとに、物事の良し悪しを判断して、それに習って行動する。

自己ハーディング…自分が前に取った行動をもとに、物事の良し悪しを判断する。

仕事というのは人がやらなければならないことで、遊びというのは人がやらなくてもいいことである。

アンカリングやハーディングという不合理なことは改善できる、自分の習慣に疑問を持つことからはじめてみる。

これから先、長い間、同じ決断をし続けそうな事柄(仕事、食事、服装)について、最初の決断を下すときに注意が必要である。最初の決断が、その後の未来の決断に影響を与えることもある。

経済学では、供給と需要の力が互いに独立していると仮定するが、実際には、需要と供給は互いに依存している。

価格の変化に対して、人が示すのは、「過去に支払った金額の記憶」と、「過去の決断との一貫性」を、維持したいという願望による。

■ゼロコストのコスト

無料は、嬉しいが、価格0円は、単なる価格ではない。0円は、感情の引き金であり、不合理な興奮の源である。全く買うつもりがなかったものが、無料になったとたん、魅力的になる。

0円の概念を発明したのはバビロニア人である。

無料になると、人は悪い面を忘れ、無料であることに感動して、本来よりも価値があると認識してしまう。

無料の本当の魅力は、「恐れ」と関わっている。無料のものを選べば、目に見えて何かを失うという心配はない。有料のものを選ぶと、「間違った選択をしたかもしれない」という危険性が残る。

人は無料の引力にどうしても抵抗できない。

■社会規範のコスト

人は2つの世界、社会規範が優劣な世界と、市場規範が規則を作る世界を、同時に生きている。

例えば、セックスは、社会的規範の世界では、恋人や家族とのセックスは、無料で手に入る。一方で、市場規範の世界では、売春があり、売買されるセックスがある。

また、人は、お金のためより信条のために熱心に働くこともある。

複数の弁護士に、「30ドルで、生活困窮者の相談に乗ってくれ」と頼んだら、断られたが、「無料で、生活困窮者の相談に乗ってくれ」と頼んだら、多数の弁護士が了承した。

思考の中に市場規範が入り込むと、社会規範が消えてしまう。

プレゼントで気分を害する人はいない。たとえ大したものでなくても、プレゼントによって、社会的規範の世界に留まることができる。一方で、価格を明かしたプレゼントに対する反応は、現金に対して示された反応と全く変わらなかった。それは、社会規範の世界ではなく、市場規範の世界へ移行した。

市場規範は、お金のやりとりがなくても、お金のことを口にするだけで、成立する。市場規範は、独立独歩、自助、個人主義をはじめ、様々な行動にも関わっている。

人は、お金について考えるだけで、経済的合理性が高い行動になり、日々の生活に見られるような社会的な行動をしなくなる。社会規範と市場規範が衝突すると、社会規範は損なわれる。社会的な人間関係は、簡単に修復できない。

企業は、顧客に信頼され、社会的な関係を求めている。しかし、一度でも、社会的交換を逸脱すれば、顧客は市場的交換に戻る。市場規範がもたらすお金の力は限定的であるから、社会規範をもたらす力こそが、長期的な関係を生む。

お金はもちろん必要であるが、生活の中で、お金がない方がいい場合もある。

■性的興奮の影響

性的に興奮していない状態では、自分が興奮したらどんな風になってしまうのかを理解していない。

ある状態の時に、別の状態になった自分の行動を予測しようとすると、判断を誤ってしまう。

十分な情報を得た上で決断するには、経験の反対側にいる時の感情の状態をなんとか経験し、理解しなければならない。

■先延ばしの問題と自制心

選択の自由は難しい。だから、できるだけ選択の扉を開けておきたい。選択の扉を失うと思うだけで耐えられず、選択の扉が閉じるのを防ぐためにできることなら何でもする。

現代において、人は、機会がないことではなく、多くの機会が有り余っていることに悩まされる。

一方で、本当に消えかけている扉ががあり、すぐに注意を向けなければならないのに、人がそれに気付かない。ハッキリとした終わりがあることを意識することで、時間が過ぎていくことを認識できる。

必要なことは、いくつかの扉を意図的に閉じることである。人は扉を開けておきたいという不合理な衝動を抱えている。

例えば、二つの扉があったとする。どちらとも魅力があるから、どちらの扉にしようか迷う。その場合、決断しないことによる影響もよく考えなければならない。

■予測の効果

予め、味がマズいと情報を与えると、人は、その情報に賛同する可能性が高くなる。それは、人が経験によって、マズいと実感するからではなく、マズいと予測するからマズいのだ。

前もって美味しそうだと感じた時は、やはり美味しいし、マズそうだと思った時は、やはりマズい。

ステレオタイプ…多くの人に浸透している先入観、思い込み、認識、固定観念、レッテル、偏見、差別などの類型化された観念である。

ステレオタイプは、経験を予想したいとの思いから、前もって情報を分類しておく方法である。脳は新しい状況を過去に見たものの上に築いていく。ステレオタイプは、複雑な周りの状況を理解しようとする近道になる。

自分自身の行動さえ、自分のステレオタイプによって、影響を受ける場合がある。ステレオタイプの活性化が、その時の心の状態やその瞬間に自分をどう捉えているかに左右される。

予測によって、人の経験に対する感じ方や捉え方が変化する。

■価格の力

プラセボ効果によって、信念や予測が、人の感覚に対する知覚や、人の解釈に影響を及ぼす。また、プラセボ効果は、予測が、人の主観的、客観的な経験を変化させ、影響を与える。

プラセボは「私が喜ばせよう」というラテン語である。

プラセボは暗示の力で働く。プラセボが効果を発揮するのは、人が信じるからだ。

多くのモノは、品質と価格は比例関係にある。

その中で、例外が2つある、ブランド品と薬である。ブランド品が安かったら、誰も欲しがらない、ブランド品は、高いからこそ、誰もが買えないという付加価値がある。

薬も価格が低いと効果が低いことが、実験によって示されている。薬は、その実際の効能よりも、価格によって効果が、意識づけられる。薬は、支払った分に見合う効果を得られる。価格は、経験を変化させるとも捉えられる。

不合理な直感に囚われていると、値引きされた商品を見ると、直感的に定価の商品より品質が劣っていると判断する。そして、本当にその程度の商品にしてしまう。

改善策は、価格と品質の関係について気にするのをやめるである。

プラセボは、単なる心理的効果ではなく、人の心が、体をコントロールする方法を体現している。

■人の品性

不正は、犯罪者の不正と、自分が正直者だと思っている人の不正がある。チャンスがあれば、多くの正直な人が、不正をする。

人は正直さについて費用便益分析を行う。一方で、不正直さについても同じように費用便益分析を行う。この考え方によれば、個人は、自分に都合がいい(他者を喜ばせたいという願望も含めて)ときだけ正直になる。費用便益分析は、人に見つかってしまう可能性は、不正直さにあまり影響を与えない。

人はチャンスがあれば不正をするが、決して思いっきり不正をするわけではない。また、いったん正直さについて考えだすと(十戒を思いだすにしろ、ちょっとした文面に署名するにしろ)、不正を完全にやめる。つまり、人は、何かの倫理思想の水準から離れると、不正直に迷いこむ。しかし、誘惑に駆られている瞬間に、道徳心を呼びおこされると、正直になる。

不正行為は、現金から一歩離れたところで行われる。人は、お金ではないものが絡んだ不正行為は行えるのに、お金を扱う時には不正がしにくい。

人は、ちょっもした不正行為を正当化する術に長けているので、お金ではないものが不正行為にどう影響するかは、理解しにくい。

人は、現金から一歩離れた途端、不正行為を正当化しやすくなる。正当な理由だと自分自身を納得させられるかが問題である。

現金が絡むと、自分の行動について考えようという心持ちになる。

たとえ正直者であっても、心の働きによって、部分的に盲目になる。盲目になって、自分の道徳基準を迂回して、金銭の報酬を受けとる道を選ぶこともある。人が道徳的な正直者であろうがなかろうが、衝動が、人に小細工をしかける場合がある。

人は、時々、他人にある印象を与えるために、特定の消費行動から得られる快楽を犠牲にすることがある。人が食べ物や飲み物を注文する場合、目標は二つある。自分が最も楽しめるものを注文することと、友人に好感を持たれるように自分を表現すること。

  • 独自性への欲求が強い人は、評判という効用を得るために、個人の効用を犠牲にすることがある。
  • 独自性欲求を望ましい特性と考えない文化では、グループへの帰属意識を示すために、友人と同調する。

■まとめ

これまでの実験の結果から、これまでの経済学が仮定するほど、人の判断は、合理的でない。人の不合理な行動は、無分別でもない。規則正しく予測できる。脳の基本的な構造で、人は皆、同じような失敗を、何度も繰り返す。

経済学は、本来は、人がどのように行動すべきかではなく、実際にどのように行動するかに基づいている方が理に叶っている。

行動経済学は、人が不合理な行動をするという前提にたっている。

人は、自分が何の力で動かされているか、ほとんどわかっていないゲームの駒である。人生は、自分が舵を握っていて、自分の決断によって、自分でコントロールしていると考える。しかしこれは、幻想である。

予想通りに不合理

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