【本要約】資本主義が倒れたあとの、世界
2022/4/14
プロレタリア
僕たちをデジタル化するプロセスが、権力者によるプロレタリア化である。
僕は、生産プロセスの歯車の歯の一つである。生産プロセスは、僕が何をして何を考えたか、その上に成り立っているにも関わらず、僕は、その商品でしかない。あらゆる経験価値から交換価値への転換である。人間の自主性の喪失である。
本人が何らかの利益を見出さない限り、誰も何もしようとはしなくなってしまった。
誰もが、あくせく利益を追求している。
個人主義 ⇄ 集産主義
・集産主義
土地・工場・機械などの生産手段の私有 ( 私有財産制 ) を禁じ、社会の共同所有にしようという思想
・自由至上主義 ( リバタリアニズム )
個人の自由を最大限に尊重し、国家はその役割を最小限に留めた「 最小国家 」であり、小さな政府であるべきだという思想
資本主義とSFには一つの共通点がある。どちらも架空の通貨を使って、未来の資産を取引することだ。
マルクス・ガブリエル
フリーダムマシン
ビックテック業界が追い求める究極の目標とは、個人の欲望と現実とが合致しないリアル世界での体験に代えて、それぞれの欲望に合わせた体験を提供する、精度の高いバーチャルリアリティーマシンの開発だ。つながりを求める人間の欲求は変わらない。その空想世界が共有されている限り、マシン相手であっても構わない。
- 「 現実世界でもデジタルなゲームの世界でも人間の問題は同じだ 」と考えた。私たちは相手と心を通わせたい。
彼らの承認は重要だ。 - なぜなら「 相手をコントロールしたい 」と願う時でも、彼らを思い通りにするのは難しいからだ。
- 相手がこちらの望まないことをすると、私たちは腹を立てる。
だからといって、相手を思うままにコントロールできた時に、彼らの同意を得てもあまり嬉しくない。 - 「 コントロールから得られる喜びが幻想だ 」と理解することは、極めて難しい。
とりわけ、人はあらゆる犠牲を払ってでも、その喜びを求めようとするからだ。 - そのアイデアは「 フリーダムマシン 」と名づけたその装置では、数百万人が同じバーチャル世界に棲息しながら、それぞれ違う相互作用を体験できる。
- 至福のユニバースをつくり出すだけではない。
無限に重複する悦びを同時に体験できる多元宇宙をつくり出す。
フリーダムマシンの世界に入ったが、最後「 二度と現実の世界には戻れない 」という代償があった場合にはどうか?
「 フリーダムマシンの中で一生を送る 」という選択肢を、ほとんどの人は、最終的に断る。その決断は、本質的に彼らを解放する。
ソクラテス
人生には、欲望に耽り、苦痛を取り除くよりも遥かに大切なことがある。
資本主義
・資本主義は、私たちの中に欲望を作り出す。必然的に欲求不満を生み出す。
古代ギリシャ人は、快楽や幸福感を二つに分けて考えていた。
- 「 楽しい、おもしろい 」といった一時的に満たされる目の前の快楽を「 ヘドニア 」と呼んだ。
- 美徳や自らの成長を求め、それを達成した際に感じられる、もっと長期的な「 人生の充足感や幸福感 」を「 ユーダイモニア 」と呼んだ。
欲求不満が満たされることで、私たちはユーダイモニアを手に入れる可能性を失う。
- 誰か一人が鎖でつながれていたら、私たちの誰も自由じゃない。
- あらゆる形の隷属が全面的に根絶されない限り、個人は自由になれない。
資本主義の前には、政治権力と経済力は同じ人物が握っていた。王は裕福であり、裕福なのは王だけだった。政治権力は、強制的無条件に他者の富を搾取する力を意味した。権力は常に数の法則の上に成り立つ。
資本主義が登場して、新興階級の商人が誕生した。商人は経済力があったが政治的な影響力はなく、社会的な地位も低かった。こうして史上初めて、政治権力と経済力が分離した。その分離が決定的になったのは、商人が産業界の大株主へと進化した時だった。
- 言語は集団的にしか生み出されないから、私的言語は成り立たない。
- 富は言語と同じく、集団的にしか生み出されない。
その後初めて、私物化する権力を持つ者によって私物化される。
資本主義は、あらゆる価値を価格で表し、あらゆる交換を取引に変え、あらゆる計算不可能な美を測定可能な欲望の対象に変換してきた。
・楽天主義
どれほど不満足か不幸でも、私たちは最善の世界に生きている。
僕は「 すべてが幻想じゃないか 」と不安になることがある。
自分という人間そのものが存在せず、自分の頭の中の『 私 』は存在しないのではないか?
動物は必ず実際的な理由によって行動し、コンピュータも実際的な理由によって作動する。だからこそ、どちらも偉大なことはしない。
本当に偉大なことを成し遂げたり、純粋な自由を勝ち取ったりするためには、自我を忘れてノミを振るう彫刻家のようでなければならない。彫刻家は、芸術に対する熱い思いに身を委ねて像を彫り出す。長い時間、汗を流してつくり上げた偉大な芸術作品に理由はない。あるのは「 ただそうしなければならない 」という思いだけ。
芸術そのものが目的であり、それ以外に目的がないように、善もまた、それ自体のためだけに、ただ理由もなく存在する。私たちの欲望が善を促すからではなく、欲望を自制したあとにのみ、善は存在するのだから。皮肉なのは、欲望の奴隷にならなかった時、その副産物としてのみ、私たちの欲望が満たされる。
一人一人の物質的なニーズは技術によって満たされた社会では、自らを向上させること、人生や運命をコントロールする力が必要になる。

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