知識
2021/7/6

対比
専門知識という知的資産は、別の領域にチャレンジするのが難しくなる。また、専門領域で新しい主張をする場合でも、それまでの蓄積と矛盾する事をやるのは難しい。それは、ある意味での自己否定につながるからだ。知識の世界での資産のジレンマである。
業界の常識を覆すような斬新な発想をするのは、その業界の専門家ではなく、素人である。知識という、財産と思われるようなものも、柔軟な発想をする上では、負の遺産となって足を引っ張る。
一見、プラスに見える事象も、別の視点から見ればマイナスに変わる。
頭をやわらかくするための発想の着眼点は、肯定に思われていることを否定に捉える。
長所を短所に変えてみるにしても、そこにどういう対立軸が含まれているのかを抽出して、メリットとデメリットを同時にあげてみることで、一歩引いた視点から思考できる。
良いか悪いか、正しいか間違いかというような二者択一で考えるのではなく、南北や左右というような方向性と同じと考える。例えると、「頭の中に地図」を持つということである。地図を描くためにも、南北や東西といった方向 (軸) を決める必要がある。

成功も失敗も行動の結果である。うまくいけば、成功で、うまくいかなければ、失敗である。例え、挑戦が失敗でも、行動した結果や失敗した教訓は残るし、挑戦する前とは確実に状況が変わる。成功の反対語は、挑戦しないこと・行動しないこと = 何もしないことである。
同様に、賛成の対義語は反対ではなく、意見がない。好きの対義語は嫌いではなく、無関心である。
新しいアイデアを創造的に生み出せる人と、文句ばかり言っている人というのは、紙一重である。
アイデア
人間は、「遠くのものの方がありがたい」と思う性質がある。
人間は年齢を重ねてくると、遠出が億劫になり、身近なモノで済ませようとする。
それは、「仕事」でも同じで、「専門領域で積み重ねた経験年齢」も同じだ。
頭の使い方に関しても、経験や知識を積み重ねるにつれて、身近にあるもので、済ませようとする。これが頭の固さの1つの原因になる。身近な世界だけで考えていれば、楽だ。
そして、遠くにあるアイデアの組み合わせが価値がある。
- 頭の固い人は、他業界の事例を「業界が違うから当てはまらない」と否定する。
- 頭の柔らかい人は、「全く離れているものを何かと結びつけたら、何が起きるだろう」と考える。
幅広い経験 ( 趣味・遊び・旅 ) をして、自分から、遠い世界の情報を仕入れて、情報を無理矢理つなげる。
常識
日本の常識は、世界の非常識というように、常識とは価値観である。
世界がコレほどまでに変容し続ける時代に、常識は存在しない。そして、「常識」という言葉を使う人の最大の特徴は、自分が思考停止していることに気付いていない。
どんなことでも、ありとあらゆることに当てはまるわけではなく、特定の状況や性格等によって、当てはまったり当てはまらなかったりする。その前提の状況説明が抜けていることが要因である。
- 主張している人が、意識しながら、その前提条件を言っていない場合
- 主張している人が、自分自身でも、その前提条件に気づいてない場合
世の中の議論は、その前提条件がないために、議論が発散する。
業界のセオリーや、組織のポリシーや、個人の哲学が、前提条件を決定する基準となる。
自分の中にある当たり前や常識は、自分のこれまでの人生経験や仕事を通して培われたものである。だから、仕事が自分と他業界の人とは、前提条件である当たり前や常識が異なるため、話が通じない。しかし、仕事が他業界でも、人生を共にした経験のある友達は、話が通じる、それは、人生を共にするという前提条件が共通であるためだ。
非常識
柔軟な思考を持った人というのは、往々にして見た目や、やることが変わっている変人である。変人は他人と違うことをやる。
- 同じことをするには、何も考える必要はない。
- 同じことをするのに理由はいらないが、違うことにするには理由がいる。
- 違うことをするには、選択肢を考えて、その中から選択するという頭を使うプロセスが必要になる。
常識的な人は、大多数の人に合わせる人であり、他人と同じことをする人を意味する。非常識な人は、色々と考えて行動する必要がある。非常識であるためには、理由が必要であり、大変なのだ。
出る杭は打たれるという日本社会において、他人と違うことをやると必ず周囲から叩かれる。それに対抗して生きていくためには、必ず理由が必要で、個人としても確固たる哲学が必要である。
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