知識の泉
2022/2/9
学び切れるほど、この世界は狭くない。
世界を知るには、私たちの人生はあまりにも短過ぎるのだ。
学べば学ぶほど、世の中のことがわかっていき、多角的に捉えることもでき、解釈の幅も広がっていく。
そのことを実感する機会はあまりない。だから、忍耐を必要とされる。
こんなことも知らずに生きてきたのか!
どうして、こんなことも知らずに生きてこれたのか?
私は、全然、何もわかってない。世界を知らなさすぎる。驚くほどに、無知だ。新しいことを知れば知るほど、付随して、知らないことがあることに気付かされる。知れば知るほど、無知を痛感する。
国語辞典で言葉を調べると、そのページには、調べたい言葉以外の知らない言葉だらけである。言葉を知るために国語辞典を開いたのに、そのページにある知らない言葉の洪水に呑まれてしまって、自分が、言葉を知らないことを認知する。
知ることは、知らない世界を知ることだ。知らない世界は、単独であるわけではなく、知らない世界は、また、他の世界とつながっている。いろんな世界がネットワークの網のように広がっている。
知るってことは、知らない世界を知ることで、もっと知らない世界が広がっていることを知ることだ。
「 なぜ、これほどの無知で、生きてこれたんだろう?」と問うほどに。
逆に、無知でも生きられるくらい便利な世の中ということもできる。
自分が知らないことを放置して生きていくのか?
- 私は、知りたい。
- 知って、世界をわかりたい。
- 世の中が、なぜこんなふうになっているのか、理解したい。
目の前にある膨大な知りたいことの山を自覚したとき、自分の無知さ加減に悲しくなった。何も知らない自分に嫌気がさした。泣きそうになった。いつ終わるともわからない、知との格闘である。
なりたい自分の前に、ありたい自分の準備が必要だ。
- なるからあるのではない。あるからなれるのだ。
お金持ちになりたい自分の前に、お金持ちの思想を持った自分でありたい。お金持ちになるためには、闇雲に働くことではない。サラリーマンはお金持ちになれない。お金持ちの正しい思想を持つことで、初めてお金持ちの扉が開かれるのだ。
お金持ちの扉を開くためには、お金持ちの扉を探すための前提知識が必要だ。扉を開いても道は続いていく。その道を選び方次第でその先の人生が決まってしまう。どう道を選んだらいいかの思想が必要になる。
- ありたい自分から、なりたい自分へ
そのために、必要な武器は、知識である。
モノの見方、捉え方、思考法を磨くための知識だ。
知識は見えない、頭の中に存在するだけだ。
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