「イラつく、かわいいね」と「イラつかない、かわいいね」

社会

「 日本教の社会学 」 からの思考

2022/3/14

「 あなたは嘘つきだ 」と言われたら、イラっとする。
「 あなたの言ったことは事実と違う 」と言われたら、イラっとする。

私たち日本人にとっては、どちらも差異がない。
表現は違えど「 自分を否定されている 」と感じる。

でも、実は、この2つの表現は、全然違う。

私が、英語で、イギリス人に、
「 あなたは嘘つきだ 」と言ったら、相手は怒って、ケンカになる。
「 あなたの言ったことは事実と違う 」と言ったら、相手は冷静に「 何が事実と違うの?」と質問される。
「 嘘つき 」は、相手の 人格 を否定しているので、ケンカになる。
「 事実と違う 」は、相手の 情報 を否定しているので、ケンカにならない、お互いの情報のすり合わせが行われる。
日本人は、言葉の意図に、人格と情報の分離がない。
イギリス人は、言葉の意図に、人格と情報の分離がある。

同じ時代に生きていて、同じ言葉 ( 英語 ) を使って話していても、育まれた文化によって、全く異なった感情を持つ。

これは、日本人とイギリス人の極端な例だけど、私たちは、同じ日本人であっても、生まれた家族も、育った地域も、生活環境も、何もかもが違う人間である。

私たちは、同じ言葉を使って話しているけれど、私たちそれぞれが受けている感情は異なる。

同じ言葉でも、
私は、イラつかないけど、あなたは、イラつくかもしれない。
私は、イラつくけど、あなたは、イラつくかもしれない。

私は、身長160cmである。
「 背が低いですね 」と言われても、イラつかない。事実だから。
例えば、身長165cmの男性がいる。
「 背が低いですね 」と言ったら、イラつかれる、ほぼ100%間違いなく。彼は気にしているから。

同じ言葉でも、
どの体の部位で言われるかで、イラつくかもしれないし、イラつかないかもしれない。

私は女性に、
顔を見られながら「 ( 身長が小さくて ) かわいいね 」と言われても、イラつかない。
下半身を見られながら「 ( ちんちん ) かわいいね 」と言われたら、イラつく。多分、もう、しばらく、戦闘不能だ。

低身長貧乳の女性に、
顔を見ながら「 小さくてかわいいね 」と言ってもイラつかれないかもしれない。
胸を見ながら「 小さくてかわいいね 」と言ったらイラつかれるかもしれない。

同じ言葉でも、
誰に言われるかで、イラつくかもしれないし、イラつかないかもしれない。

宇宙に行った人に「 貧乏ですね 」と言われてもイラつかない。
ホームレスに「 貧乏ですね 」と言われたらイラつく。家がない人に言われたくない。

子どもに「 俺の方が頭がいい 」と言われても、イラつかない。
子どもに「 俺の方が足が早い 」と言われても、イラつかない。
子どもに「 俺の方がちんちんが大きい 」と言われたら「 じゃあ、ちょっと見せろ 」となる。

私たちは、国が同じでも、性別が同じでも、恋人でも、友人でも、夫婦でも、親子でも、全員100%違う。絶対に違う。

「 違う 」という前提を忘れてはいけない。違うという前提がある限り、私たちは、絶対100%の共感を得ることはない。他者とわかり合うことはない。「 他者とわかりあいたい 」という発想自体が幻想だ。

私と同じくらい愛して?
なぜ、私だけを見てくれないの?
なぜ、浮気をするの?
なぜ、浮気を繰り返すの?

「 浮気を悪い 」と思う機能があるとしたら、その機能が壊れているから。
同性愛が、昔、「 病気だ 」と思われていたから、それと同じ、病気だから。
歴史的には、浮気が問題となっているのは、現代だけ。
世界には、一夫多妻の国もある。

私と同じように世界を感じて?
なぜ、これが楽しくないの?
なぜ、これが楽しいの?

ディズニーは並ぶから楽しくない。
カブトムシが楽しいのに理由なんてない。

何で言ってもわかってもらえないの?
何で同じことを何度言ってもわかってもらえないの?
何で嫌だというのに何度も繰り返すの?

あなたにとって大事な問題でも、私にとっては、どうでもいい問題だから。

価値観が違うから。

ディズニーの楽しさを説明されても私は理解できないし、カブトムシの楽しさを説明してもあなたは理解できない。

努力しても超えられない壁がある、価値観という壁は超えらない。

私たちは、ひとりひとり独自の価値観を持っているから、わかりあうことはできない。

私たちは社会性の生き物だ。
私たちは一人では生きていくことはできない。

私たちは、わかりあうことができないことを前提として、わかりあえない人たちと、わかりあえない関係の中で、わかりあえないまま生きていくことを強制された社会にいる。
わかりあうことを、あきらめるのではない、受け入れるのだ。
自分と違った価値観を受け入れる。
だからといって、自分の価値観を合わせる必要はない。
私の価値観と、あなたの価値観を両方とも、自分の中に内包させる。

この思考を獲得して可視化して言語化するために要した年月トータル42年

  • 他者の気持ちがわからないのに、みんなは、なんで他者の気持ちがわかったふりをするのか理解できないこと42年
  • 他者の気持ちを理解することを放棄していた期間42年
  • 湯浅は42年かかったのに、みんな簡単にできる。

ていうか、みんなすごくない?

湯浅は言語化できただけで実践までは辿り着いてないけどな。

実践できるようになるまで、生きていられるかな?
実践が先か、死が先か?

【本要約】日本教の社会学 ( 山本七平 )
日本人は「 安全と水は、タダである 」と思っているように「 自由と平和も、タダである 」と考えている。宗教とは、行動様式 ( エトス ) なので、日本人には、日本独特の行動様式がある、日本教がある。

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