【本要約】言語起源論の系譜△

【本要約】言語起源論の系譜

2022/5/11

自然と人為

言語は自然か人為か

古代ギリシアに見られる「 自然 」と「 取り決め 」の対立がある。

「 何か名の正しさ 」というものが本性的に、自然に存在しているのであり、それは万人に同一のものなのである
クラテュロスの「 自然説 」
「 人間こそあらゆる物事の尺度 」であり、事物の名も人間の取り決めによると説く
ヘルモゲネスの「 人為説 」

「 同一の事物に、いくつかの国家がそれぞれ独自の名をつけている 」= 「 複数の言語がある 」という事実である。それに対して、プラトンが描くソクラテスにとって重要なのは真理としての「 イデア 」であり、真理は定義上、一つでなければならない。

ここに浮かび上がっている「 多 」と「 一 」の対立こそ、以降二千年以上にわたって陸続きで現れる言語起源論を規定するものである。

重大なものと認められるなら、類似とは近親性である。
近親性は、系統を従って、過去における一つの源への回帰を想定する。
ソシュール

言語の起源

「 言語の起源 」の核心にあるのは「 言語の生成を可能にする条件は何か 」という問いである。

  • 言語の生成とは「 非言語 」から「 言語 」への移行である。
  • 「 非言語 」には「 自然 」があてられ「 動物 」があてられる。

言語の起源を辿ると、動物と人間の区分へと回帰するので、別の問いへと変容する。

「 言語の起源 」が照準しているのは「 人間とは何か 」という問い。
人間を人間たらしめている「 ” 社会 ” や ” 国家 ” の存在を保証するものは何か 」という問い。

「 言語起源論の系譜 」は「 言語起源論 」をはるかに逸脱していく。

「 統治する者が統治される者である 」と同時に「 統治される者が統治する者である 」ということだ。これを「 近代 」の民主主義として捉えた。これが解決されえない逆説なら、ひとたび足を踏み入れられた「 近代 」は決して終わらない。その事実を「 言語起源論の系譜 」は突きつけてくる。

「 近代 」における問い
・「 人間とは何か 」
・「 ” 社会 ” や ” 国家 ” とは何か 」
・「 言語とは何か 」
→「 言語を言語たらしめているのは何か 」という問いの変奏

「 言語を言語たらしめているもの 」は ” 社会 ” の中にも ” 国家 ” の中にもない。
「 ” 生まれ出ざる者 ” が生まれ出ざるままにある 」に行き着く。

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