【本要約】社会契約論の系譜
2022/3/19
契約論
・市民的契約論
・立憲主義的契約論
契約当事者たち
・相互に契約を結ぶ個々人
・支配者や神と契約を結ぶ個人たち
・自分たち自身の間で合意する家族の長たち
・上位のものに契約によって縛られている諸団体あるいは諸都市
・支配者ないし王と契約を結ぶ一つの団体としての人民
選択の動機
・宗教的義務
・個人的安全
・経済的福祉
・道徳的自己廉直
私たちは一つの社会契約論に直面しているのではなく、個々人が自分自身の目的のために契約論を受け入れている様々な伝統に直面しているのである。
ギリシアの契約論
自然状態には、正義や不正義といった道徳は存在しない。
道徳を決めるのは、社会契約に伴って生じる主権者の意志だけである。
道徳的契約論
社会的協働がない場合よりも、あった方が、自分自身の所有が増加するから、契約に応じている。
① 法律の力と制裁の恐怖
② 利益が長期的に縮小されるかもしれないという恐怖
市民的契約論
自然状態は、神の道徳法によって規制された社会である。
私たちは自然法のもとで、神に対しての自己保存の義務を持っているし、他者保存の義務を負っている。自己保存と人類の保存は、神によって課された義務に由来する権利である。
契約は、市民社会で生きる為にあるのではない。
自然状態で、人間の道徳的権利の相互承認と保護に秩序建てられた共同体を構成する為に、契約はある。
立憲主義的契約論
主権者と市民との権利と義務とが、法的に規定されている。
支配者と被支配者との関係こそが、契約である。
契約をした者たちの権利と義務とが含まれる。
国家
そのため、政治的転換が容易であった。
① 自然的人間よりも遥かに大きな強さと力を持った人工的人間である。
② この人工的人間に生命を吹き込む魂は、主権である。
③ 主権者は本質的に人民を代表し、人民の統一を具現化したものである。
社会契約
ロック:暫定的な国家
ルソー:道徳的な国家、教会としての国家
社会契約論に体現されている平等の思想の核心は、殺すことのできる人の力ではなく、「 すべての人々は平等に自由である 」という原理にある。
人は自然権によって「 人間である 」という権利によって、自由という特性を持つ。
社会契約の概念は、「 すべての支配は、支配する人々によって作られ、設立される 」という思想である。
- 生まれながらに、個人は自由で平等である。
- 支配確立は、すべての個人の意志が表明された契約合意である。
- だからこそ、個人が拘束され義務付けられる形式の支配が設立する。
社会契約説内部の基本的相違
■ホッブズ
人間が世俗的な権力を構築する。
世俗とは、平和で安全で、この世での至福に関わる。
権力の構築自体が道徳の履行であり、神の意図の充足である。
■ロック
自然状態の中の神の国を補う構造として、市民政府がある。
社会契約によって生み出される社会は、市民政府を成立させる。
市民政府は、神の国の法に従属するようにはたらく。
自然状態に伴う、いくつかの困難に対して、自然社会の自由で平等な構成員は集合した。
各人の権利と自由を保持するために、各々の権力を合同させた。
そして、集合して行動することに同意した。
新しい人工的な共同体を形成することに、合意した。
■ルソー
自然によって設立されている社会を想定しない。
存在する社会は完全に堕落している。
人間が、道徳的に再生するためには、社会が必要である。
人間は、自分自身を道徳法に従属させることで社会を設立した。
人間は、自分の理性を通じて自分自身を支配することを契約した。
主権の起源を人民に帰しただけでなく、主権の行使をも人民に帰した。
主権に対してはいかなる取引も存在すべきではなく、いかなる損失もあってはならず、あるのは、利益だけでなければならない。
唯一存在するのは、結合 ( つながり ) の契約であり、従属の契約は存在し得ない。
① 他の契約者に対する義務
② 主権との関係のなかで、社会の構成員として負う義務
- 個人は、社会契約によって、自然的自由を失う。
自然的自由とは、自分が獲得したすべてのものに対する無制限の権利である。 - 個人は、社会契約によって、道徳的自由を獲得する。
道徳的自由とは、自分が所有するすべてのものに対する所有権である。
契約とは、社会それ自体を構成するものである。
- ホッブズにとっての契約のゴールは、市民的平和と静穏な生活であった。
- ルソーにとっての契約のゴールは、人間がその自由を一切放棄することなく結合し、市民社会を構成する各人が道徳的に改善されるようにすることである。
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