呑みに行きたいと思ったけど
2021/2/26
高円寺は、尖った人がいるから、高円寺で、出会った縁は大切にしようとしている。
例えば、歯医者の先生である。話していると、説明もわかりやすく、賢い雰囲気がわかる。
ある時、歯に対する疑問を投げかけた。その時に、「論文では〜」という回答が来たので、先生は、研究職の傍ら、この歯科医院で働いている人なのかなと思った。
そんな人とは、ぜひ友達になりたいし、奢りでもいいから、呑みに行きたいと思った。
今日、論文の話しを、思い出したので、聞いてみた。全然、違った。ただの大きな歯科医院に勤めるサラリーマン歯医者だった。
「最初に感じた ” 一緒に呑みたい ” という直感が本当に合っているのか?」という疑問が湧いた。
先生に聞いてみる。「何で歯医者になったのか」と
「何となく」という答えが返ってきた。
湯浅には、人との間にある距離感や、深度に対して免疫力がない。(自分が多少の信頼を得た人なら)、割と、誰にでも、自己開示をしていく。
だから、その答えを不思議に感じるとともに、人間関係の構築が、まだできていないんだなと感じる。
ここに、湯浅の変化がある。
これまでは、その答えをそのまま受け取っていた。「何となく歯医者になった人だ」と認識していた。しかし、「実際には、違うのかもしれない」と気付いた。” 大して知らない他人に、そんなこと話すわけないじゃん ” という人がいるかもしれないことに気付いた。
他人の表面しか見てこなかった。それは、本質的に、他人に興味がないからだ。
そして、この距離感の人とは、多分、感覚が合わない。例え、仲良くなるにしても時間がかかる。
湯浅は、人からされる疑問に対して、余計な感情を挟まずに、真摯に応える。そこに、思惑はない。
だから、呑みに行くことを諦める。
湯浅には、時間がないからだ。
コメント