神は人間を創造したし、人間は神を想像した
2021/12/14
- 一神教 ( ユダヤ教・キリスト教・イスラム教 ) では、人間は神が造ったとされている。
そして、世界の大半の人は、一神教を信仰している。世界では、一神教が多数派だ。 - 人間は神を創った。様々な出来事を、人間には理解できないことを、神という存在を通すことで理解しようと努めた。
神は見えない。人間の想像の中の存在だ。だから、人間は神を創った。
神は人間を創造したし、人間は神を想像した。
モノゴトは「どういう風に捉えるか」である。「どちらから世界を見るか」である。モノゴトは、ひとつでは存在し得ない。光と影、昼と夜、夏と冬、すべては対象に存在する。
お金持ちがいるから、貧乏がいる。男がいるから、女がいる。異性愛者がいるから、同性愛者がいる。私は、私の視点でしか、モノゴトを、捉えることができない。私は、私以外の何者でもないのだから。私が「客観的視点でモノゴトを捉えよう」としても、それは、結局、主観的視点を範囲を超えることはできない。客観の反対は、主観だからだ。両者は、混じり合うことはない。自分の視点は、どうやっても、主観でしかない。他人の主観が客観である。
男と女で世界が違う。男と女では見えている世界が違う。男に見える世界より、女の見える世界の方が彩が鮮やかなのだ。男女で色彩感覚が違うのだ。女がキラキラしたモノが好きなのは、男と見えている世界が違うからだろう。男はキラキラしたモノに魅力を感じられないのは、色彩感覚であろう。男は、ピンクと言うけれど、女は、濃いピンク、薄いピンク、鮮やかなピンク、くすんだピンクと、その違いを明確に認識できる視覚を持つ。
男は女になり得ないから、その感覚を体感することはできないし、女も男になり得ないから、その感覚を体感することはできない。主観は客観になり得ないし、客観は主観になり得ない。主観は、自分の域を出ない。客観的に相手のことを考えても、主観でしかない。だから、本来の意味では、男女は、わかり合えない。見えている世界が違う両者は、理解しあえない。
私たちは、主観しか持たないから、相手のことを理解することはできない。でも、相手のことを想像することができる。相手のことを、想像して、心を痛めることができる。相手のことを気持ちを想像して、泣くことができる。私たちは、客観は持たないけど、想像によって、客観に近いことを為し得る。
私たちが、目にしている光景は、電車もビルもコンビニもスマホも、そのすべては、初めからなかった。私たちが、想像することによって初めて、創造できた。
私たちは、想像することで、仲間と協力ができ、神からコンピュータまで、様々な概念や機械を創造してきた。
動物は、ずっと昔から同じ生活のままだ、餌を食べて、遊んで、寝て、子どもを作って、産んでというサイクルの中で、生きてきた。
新しい何かを生み出すことはなかった。

コメント