神という視座
2022/5/28
ヒトと自然
子どもは、何もできない。赤ちゃんなんか徹底的に何もできな過ぎて放置した瞬間に数日で死ぬ。ヒトは自然界に対して、弱過ぎる。ヒトが道具を手にして、サルから進化していなかったら、人類は滅亡しているかもしれない。
現代社会
子どもを育てることは非常に手間がかかる。お金もかかる。新しい世代では、盲目的に結婚して子どもを作ることが、当たり前の世界ではなくなってきている。二人ならば、子育ての手間もなく、多くのお金を必要としない。

もはや、結婚すらも、手間であり、お金がかかるといった価値観の社会も目の前にきているのかもしれない。
娯楽の歴史
一般的には、付き合って、結婚して、子どもをなして、それからやっと子ども育ててという手順が必要だ。この手順を踏むまでで相当な手間である。だが、親が経験する子育ては、唯一無二の娯楽である。だから、娯楽がなかった時代は、たくさんの子どもなしていたのだ。戦後になり、テレビという娯楽が庶民に普及していく。カラーテレビの普及率が100%になると、子どもの数はピークから減少の一途を辿る。子育ては娯楽なのだから、テレビという娯楽と相関がないはずはない。
唯一無二の子育て体験は、無料で視聴できるテレビとしのぎを削ってきた。しかし、インターネットという人類史上最強の娯楽が生まれた。インターネットをパソコンで利用しているうちは、まだ、よかった。一部の人の娯楽であったからだ。
そこへ、小さいパソコンを、iPhoneとフォーン = 電話と再定義したイノベーターが登場した。スティーブ・ジョブズは、小さいパソコンなのに、電話と言い切った。
一人一台の電話が、一人一台のスマホへ転換した。電話というコミュニケーションツールは、スマホという娯楽へと転化した。一家に一台の娯楽の王様のテレビは、一人一台のスマホへとその座を譲り渡した。手のひらにある娯楽は、その枠を広げ、娯楽という概念さえ超越して、全てを飲み込みつつある。
そんな時代に、手間のかかる、子育てや結婚といったものへの興味を失っていくのも当然の成り行きだ。
人類の未来
手間暇もお金もかからない手のひらにある娯楽に魅了された現代人は、その向かう先を理解しているのだろうか?
動物的には結婚しなくても子どもは作れるが、養育に手間と金がかかる子どもは、結婚を前提とする。夫婦が子どもをなさないのは、もちろんのことだが、結婚しないことも、また、人類の行く先を暗示する。
子どもをなさないことは、年金というシステム崩壊といった小さい話しではない。人類が減少していくということだ。人類が減少すると、資本主義は即座に瓦解を始める。それどころではない、人類が減少していくことの意味である。性の多様化、LGBT、未婚、子なし、いろんな価値観があっていい、いろんな価値観を尊重するべきだ。その社会的価値観は「 カウントダウンの合図だ 」といことに気付いているのだろうか?
未来への道程
これまでは、経済活動の上では、ヒトが一番役に立つ道具だった。しかし、今、ヒトよりも経済活動で優位な道具が誕生した、人工知能である。
Amazonではすでに、人工知能ロボットの手に負えない部分をヒトが担っている。ロボットの配下でヒトが労働している。人工知能が侵略していく職業は、経済的価値が高い = 高給な所得の職業になる、医者や弁護士である。病気の診断は経験が必要だ。弁護士の弁護には過去の判例が必要だ。どちらも過去のデータを用いて判断を下す。人工知能の得意分野である。それ以外にも、人工知能の得意分野で、高給な所得の職業がターゲットとなっていく。
そして、人工知能を開発するコストよりも安いヒトたちが、低賃金で労働する。Amazonのように。床を掃除するのはロボットでいいが、風呂やトイレやキッチンや換気扇の水回り全般を掃除するロボットよりも、ヒトの方が安価である。ヒトの仕事は、ロボットにはできない細かい単純作業と、ロボットにはできないクリエィティブな作業に2極化してくのだろう。
極論してしまえば、ロボットに従うヒトやロボット化されないことをやるヒトと、ロボットをつくるヒトやロボットをコントロールするヒトである。それは、まるで、ロボットを間に介した主人と奴隷のような関係だ。さらに、時代が進むと、人類は減少していき、人工知能は進化し、人類を超えた、全能となり、人類すべてが奴隷となる。
ヒトは道具を手にすることで、ここまで繁栄してきた。道具を用いることがなかったら、人類はとっくに自然淘汰されていたに違いない。それほどに、ヒトは自然に対して脆弱だ。道具を手にしたヒトは栄華の限りを極めたといっても過言ではないだろう。そして、遂には、自分たちが発明したその道具によって、ヒトの存続が脅かされている。
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