【本要約】いいひと戦略

【本要約】いいひと戦略

2022/5/20

『 いいひと戦略 』概要
『 いいひと 』戦略をやると、自分がイヤなひとであることがわかってきて、自分の行動が損だよなと気付く。実は『 いいひと 』戦略ではなく、イヤなひと戦略をしてきたことに気付く。

序文

「 この高度に発達した情報社会・ネット社会では ” 隠し事 ” など無駄になる。自分の地位が上がれば上がるほど、陰でコッソリなどというのは不可能になる。人前で態度を使い分けたり、裏で本音と称する悪口言うのは、高度情報社会においては自殺行為。」
「 他人の悪口を言うときは一番広い場所で言う。自分の弱点も積極的に話す。これが結局、最大の防御になる 」
ホリエモン
いいひと戦略
= いっけん損に見える言動が、 実は長期的には利得になる

極端な話、腹の中は真っ黒でもけっこう。 最愛の人すら、いや自分さえ騙して「 いいひと 」 と思わせることが長期ベースではもっとも得になる。

ネット社会以前なら、いいひと戦略は必ずしもコスパ最高の生存戦略とは言えなかった。しかし、時代が変わり、生き残るための最適戦略も変化した。いいひと戦略「 いいひとだよ 」という評判こそ、リスク管理ができる最適戦略である。

いいひと

ネット世代から「 いいひと 」たちが生まれている。

ゴール
自分のキャラクターを「 上場 」させること。

「 『 今・ここ 』にいる自分の気持ちを大事にする 」という価値観
= 自分の気持ち至上主義

  1. 現代社会では『 今・ここ 』での感情が何より優先される。
  2. 他人を判断する基準は「 その人を見てどう思ったか 」という主観になる。
  3. 「 見た目 」と「 印象 」で他者を評価し格付けする。
いいひとと交友関係を持つには、自分がいいひとになる必要がある。
いいひとは自分の気持ちを一番大事にするので、気分を悪くするようなイヤなひととは付き合おうとしない。
  • いいひとは「 投資した方が儲かるから 」といった経済合理性では動かない。
  • いいひとは「 投資してあの人を助けてあげたい 」という自分の気持ちで動く。
メディアはメッセージであり、私たちの思考や行動は、メディアでやりとりされる内容ではなく、メディア時代によって変化する。
『 メディア論理 』マーシャル・マクルーハン
  1. 情報はいくら消費されてもなくならない。
  2. ネットの発達により、誰もが同じ情報を見ることができるようになった。
  3. シェアされる速度も、ものすごく速くなった。
  4. 行為の善し悪しに関係なく、あらゆる情報が短い時間で共有される「 ハイパー情報化社会 」に、 突入している。
  5. ハイパー情報化社会では、 たくさんの情報が流通している。
    モノやサービスに対する「 評価 」も情報としてたくさん流通している。

貨幣と商品を交換し合う貨幣経済社会に対して、 評価と影響を交換し合う経済形態を「 評価経済社会 」という。評価経済社会とは、お金よりも評価が価値をもつ社会のことだ。いいことをした人は評価が高まり、逆に悪いことをした人の評価はどんどん下がっていく。

イヤなひと戦略

  • 自分の信じることを勧めるため、評価は気にしない。
  • 嫌われるのは、実力者の証明である。
  • 他者の欠点を探して、改良点を提案したり、悪口を言う。
芸人の有吉弘行は高度な「 いいひと戦略 」 を取っている。
一見「 イヤな人 」のように振る舞いつつも、毒舌の言外には相手への気遣いや優しさをちゃんと見せている。相手の芸人やタレントに強烈なあだ名をつけているのは「 彼らを面白いキャラとして演出するためだよ 」というところをちゃんと見せている。私たちが安心して見ていられるのは、彼のいいひと戦略が透けて見えるからだ。

「 いいひと戦略 」の本質は「 愛は負けても、親切は勝つ 」

「 あなたは私に話しかけてくれただけじゃないわ。抱きしめてくれた。だから、信用できるなとわかったのよ。」

愛することは、なかなか難しい。簡単に人を愛せやしない。愛することはできないかもしれないけど「 いいひと 」という親切なキャラクターを演じることはできるかもしれない。

本心ではないから、偽善かもしれない、でも、それでいい。

私たちは、本質的に善い人でも、悪い人でもない。
善い悪いは、個人の価値観に過ぎないから、共通の指針はない。

評価経済社会の到来

貨幣経済社会は、私たちの欲望によって拡張する。

貨幣経済社会の暗黒面

100円ショップで買い物ができ、 マクドナルドで100円のハンバーガーが食べられるようになったのと引き換えに、 地元の商店街では閑古鳥が鳴いてしまう。つまり、便利さと失業はトレードオフの関係だ。 だからといって、便利さを手放したり、もっと沢山のモノを買おうと考えたりするのは、あまり意味がない。 欲望はあってもお金がないから、安くて便利なものが欲しいに決まっている。

便利さは大量の失業を生んでしまい、手の打ちようがない。

お金で買えるのは所詮時間くらいだ。

今のネット上では、評価経済が1位で、貨幣経済が2位である。

お金で評価を買うのは効率が悪い。

お金を使うというのは労働と同義である。

毎月150万円ほど買い物しているお金持ちの女性がいる。
彼女のぼやきが傑作なのだ。
「 買い物って労働よ! 重たいファッション雑誌を見て、いろんな店に行って、頭下げられて、やっと持ち帰ってきたのに、ほとんど家の中に放りっぱなし。 それを片づけるのも私。 お手伝いさんを雇えば楽になるのかもしれないけど、 気を遣うことになるから、 結局面倒くさいのよね。 なんで贅沢をするのに、こんなにしんどい 『労働』 みたいな思いしなきゃいけないんだろう… 」

これからの時代の豊かさとは「 何をどれだけ持っているか 」ではなくて「 どれくらい選択肢があるのか 」になる。 そして、何か欲しい時には「 どれだけ簡単に、 どれだけ素早くアクセスできるか 」がポイントになってくる。

不況は、貨幣経済社会に見切りをつけ、評価経済社会で評価を得るチャンスかもしれない。

お金が儲かるかどうかは分からない。でも、仕事をすればするほど、評価が貯まっていく。 お金も「 終わコン 」 ですから、お金より評価を貯めたほうがずっと有利だ。生活するために必要なお金は、後で、いくらでも換金できる。

自己啓発の格付け

自己啓発本の幸せなゴール
■ 金持ちになる
■ 頭が良くなる
■ 有名になる

■ 金持ちになる

金さえあれば、好きなものを、好きな時に、好きなだけ買うことができる。

金を持っていることに意味があった。

車を持っていることに「 私は魅力的な男である 」というメッセージ性があり、一種のステータスであった。今は所有しているだけで金がかかる金食い虫という贅沢品である。

テレビの向こう側にあるのは「 憧れの体験 」ではなくて「 体験というネタ 」である。

テレビに限らず、ネット上にも他人の体験がたくさん溢れている。それを観ているだけで6〜7割満足できてしまう。

金はかつてのような万能性を失ってしまった。

■ 頭が良くなる

  • 頭が良い人は「 排気量が大きい車 」みたいなものだ。
    どれだけ複雑なことでも、全て論理的に考えられ、 解決策までたどり着ける。
  • あまり頭がよくない人は「 排気量の小さな車 」みたいなものだ。
    物事の一つ一つに一生懸命取り組まなければいけない。

頭の良い人から見ると「 あの人たち、本当に幸せなのかな?」と考えてしまいがちだが、本当にそうなのか?

今の世の中、無理して排気量の大きな車に乗るよりも、状況や身の丈に合った排気量の小さな車の方が幸せな場合の方が多い。

頭が良くない人は「 幸せとは何か 」なんて面倒くさいことを考えない。 一生懸命物事に打ち込む。だからこそ幸せ。 むしろ必要もないのに哲学的な問いを立て、悩んでしまう人の方が、 悩みが多く辛い人生かもしれない。

■ 有名になる

世界が一つになってしまった今、身近な一般の人たち以上に金持ちで、物知りで、頭が良くて、有名な人をいくらでも見つけられるようになってしまった。 ネット上には、いくらでも有能な人がいる。 この人たちに好かれた方が、ずっと手っ取り早い。だからこそ、自己啓発が目指すゴールの価値がどんどん下がってきている。

今後、どのようなスキルが求められるのか?
モテる技術だ。
大量の情報が流通するハイパー情報化社会では、全ての情報を把握し、理解するのは不可能だ。
「 どれだけ情報の使い道を教えてくれる人を知っているか 」が大切になる。
  • いろんな方面の知識や技術を持つ人たちからモテること。
  • 愛され度を最大化すること。

これが現代人に求められるスキルだ。

他人と仕事をやっていこうとすると、問題は人格に収斂する。

有能な人は、外注でいい。有能な人よりも、揉め事を起こさず、周りの人たちと連携しできる「 いいひと 」である。

・デブは、太る努力の結果だ。
・性格は、戦略の結果だ。

性格は生まれつきであって、癖のように考えられている。実は誤解なのだ。毎日毎日、楽観的あるいは悲観的に考えたり行動したりするように努力した結果、自分で作り上げた思考パターンを性格と呼んでいるに過ぎない。

悲観的性格や楽観的性格は、人生に対する戦略であり、生き方の選択であった。どちらを選択しても、大きな違いはなかった。今後は、悲観的戦略は、悲観的性格と認知されてしまうので、損してしまう。誰でも、悲観的性格の人より、楽観的性格の人と交友したいのだ。

評価戦略

古代や近代、 それに現代にも通じることだが、社会環境というものを私たちは選ぶことができない。私たちが選べることは、自分を取り巻く社会という環境の中で「 どう生きるか 」という生き方の選択しかない。「 戦略 」の問題に尽きる。

  1. 貨幣経済社会はお金の多寡を競う競争社会だった。
  2. 評価経済社会は評価の多寡を競う競争社会である。
  3. 稼ぐものが「 お金 」から「 評価 」に変わっただけだ。

ネット社会において「 どんな言論も自由 」という権利はタダじゃない、言論の暴力という脅威とセットである。だから、自分の言論には、責任が必要になる。自由と責任は、コインの裏表である。

ビジネスセンスは近代の武道だった。

貨幣経済社会に対応した戦略
・「 賢い消費者 」という防御力
・「 投資やマネタイズ 」という攻撃力

評価経済は、現代の武道である。

評価経済社会に対応した戦略
・「 何を言われても心が折れない意志の強さ 」という防御力
・「 上手く人を褒めてやる気にさせる 」という攻撃力

「 いいひと 」や「 頼りになる人 」と言い換えてもよい。

「 いいひと 」戦略を取っていると、周りの人が、だんだん「 いいひと 」だと思ってくれる。放っておけば、防御力と攻撃力は勝手に上がっていく。

「 いいひと 」戦略への反論

□本当のいい人じゃない

  • この世界には「 本当のいいひと 」なんて存在しない。
  • どこから見ても「 本当のいいひと 」にしか見えない達人がいるだけだ。

褒めることも、いいひと戦略の一つである。

「 いいひと戦略 」の門をくぐったばかりのA君は、圧倒的な高みに居るB君を見て、どれだけトライ&エラーを繰り返してきたかを、肌で感じ取ってしまった。「 いいひと戦略 」をやっている人間には、その苦労が、その努力がよく分かる。同じ道を歩いている者には、その先を歩んでいる人のスゴさが分かる。だからこそ「 いいひと 」を心の底から尊敬できる。
みんな努力して「 いいひと 」を目指しているんだ。
この世に根っからの「 本当のいいひと 」なんかいない。
自分も彼も彼女もみんな「 偽物 」だ。
でも、あの人は「 本当のいいひと 」に見える。
スゴいな。
きっと、今まですごい努力をしたんだろうな。
だって、全然見抜けないもの。

これくらいの考えで、 ちょうど良いのだと思う。

□メッキはすぐ剥がれる

自転車のように、上手く乗れるれるようになるには、失敗しながら上達するしかない。

毎日、人を褒める。

褒めている自分自身でも「 これはウソだよなぁ 」と思えるようなことが出てくるはずだ。褒めるのは案外難しいので、適当な言葉で褒めてしまう日もある。

ポジティブな感情は伝染する。

もし「 いいひと戦略 」に失敗した人を見つけた時は、許してあげる。口先だけで充分だ。とりあえず、そう声を掛けてあげる。なぜなら、人を許すことは「 いいひと 」になる確率を飛躍的に上げてくれるからだ。許した本人のみならず、許された相手も「 いいひと 」 になる可能性が上がる。

「 いいひと戦略 」は、連鎖的に機能する。それによって「 いいひと 」が沢山生まれ、あなたの周りには「 いいひと 」ばかりになっているはずだ。

□「 いいひと 」は損をする

短期的には「 いいひと 」 は損をする可能性がある。では、視点を短期から長期に切り替えてみる。

「 いいひと戦略 」を取るような人は「 本当のいいひと 」なんかじゃない。「 他人からの評価を稼ぐためにやっている 」という意味では「 ビジネスライクな人 」 ともいえる。

ストレスの原因のほとんとは、毎日顔を合わせているごく一部の「 イヤなひと 」によって生じている。
  • 「 いいひと戦略 」を取っていると「 イヤな人 」と付き合う必要性が減ってくる。
  • 周囲には「 いいひと 」がたくさん集まってくる。
  • 今まで我慢して付き合ってきた「 イヤな人 」をリストラできるようになる。

「 いいひと戦略 」 を取っている人からは、ネガティブなことを言われる「 リスク 」は低い。彼の行動原理は「 いいひとであること 」だから、攻撃してくることはまずないと予測できる。だから、心を許して付き合うことができる。「 防御力 」も低いままでよい。「 いいひと 」とのコミュニケーション・コストは、とても低い。

□「 いいひと 」の定義

無秩序な現実をフレームで切り取った状況や機会や局面の中では、大多数の人間と認識を共有できるので「 いいひと 」をハッキリ定義できるはずだ。

大事なのは「 いいひと 」に見えるフレーム「 状況 」や「 機会 」や「 局面 」をなるべく増やし、「 イヤな人 」に見えるフレームを減らすことだ。「 いいひと 」に見られるための普遍的メソッドもありそうだ。それでは、どうすればよいのか?

「 いいひと 」戦略

イヤな人になる努力をやめる
レコーディング・ダイエット
「 太る努力 」をしていることを自覚することで、体重を減らす方法

「 いいひと 」になろうとするから、負担を感じてしまう。
「 努力をやめる 」

レコーディング・ダイエットが「 太る努力 」をやめて痩せたように、いいひと戦略では「 イヤな人になる努力 」をやめることで、自然に「 いいひと 」になれる。

「 イヤな人 」は「 さほどしたいわけではないのに、人に嫌がられる・煙たがられる努力をしちゃった 」結果、イヤな人になっている。だから、そういう言動を回避すれば、その結果「 いいひと 」になれる。

「 いいひと 」になるためには、まず、どれだけ「 イヤな人になる努力 」をしているのか、それを自覚することから始める。

「 イヤな人になる努力 」 というのは、大きく6つに分けられる。

① 欠点を探す
② 改善点を見つけて提案する
③ 陰で言う
④ 悪口で盛り上がる
⑤ 悲観的・否定的になる
⑥ おもしろい人・頭の良い人・気の合う人だけで集まる

① 欠点を探す

  1. 欠点を探すことは、攻撃することだ。
  2. 人から指摘される欠点は、本人は、自覚している。
  3. 努力しても直せなかったから、残っている。

② 改善点を見つけて提案する

問題の原因を分析して、改善点を提案してあげる。

女性から相談を持ちかけられた時に、男性がついやってしまいがちな癖である。

  • 女性は、ただ話を聞いてもらいたかっただけなのだ。
  • 女性に共感するプロセスだけでいいのだ。
  • 解決案など考えてはいけない、聞くだけだ。
・あなたは辛いことがあったら、人に伝えたくなりませんか?
・「 今日、電車が突然遅れちゃって大変だったんだよ 」と誰かに伝えていませんか?
あの時の気持ちって、抑えられませんよね。伝える内容に大した意味はありません。誰かに伝えたからといって、大変だった一日がなくなるわけでもない。苦労したという事実はそのまんま。でも「 それは大変だったね。 お疲れさま 」と優しく声をかけてもらえたら、心がふっと軽くなるじゃないですか。「 明日も頑張ろう 」と思えるじゃないですか。多分、心が満足するんですね。鳴呼、私の気持ちを分かってくれる人がいたんだ、ちゃんと理解してくれる人がいたんだ、と思って、気持ちが少しだけ軽くなる。私たちはその一言「 共感 」の言葉が欲しくて言葉を尽くしているはずです。

問題を解決するのは本人である。相談相手がどんな手を打てばよいか分からなければ、問題はいつまでたっても解決しない。 その意味では改善点を提案するのは正しい行為に思える。でも、

人は正しさだけでは動かない。
そこに「 共感 」がないと、人の心や身体は1ミリも動かない。

私はこんな大変な目にあったのに、 あなたはまったく理解してくれない。だから心に響かない。

③ 陰で言う

陰でこそこそ話すのは、楽しい。

同じ場所で長期間生活してとても仲が良くなった間柄の関係を「 同じ釜の飯を食う 」と表現する。なぜ仲が良くなったかというと、お互いのプライベートを共有するようになったから。 特に、秘密を共有すると一層絆が深まる。

でも、陰口で盛り上がる姿を誰かに見られている。

他者に見られていることが私たちの人格や行動にフレームを与える。

今までは、友達・同僚・上司・街の人々も他者である。
私たちは「 他者の目に映る私 」を意識しながら生きてきた。

ブログやTwitterやfacebookといったメディアは、個人のプライベートな情報を晒し続けていくことになる。そして、この情報公開の波はもう止めることができない。

プライベートな情報、実名や年齢や顔写真などを公開すればするほど、信頼できる人間に見えるようになる。逆に、情報公開しない人ほど信頼されにくくなる。

  • パブリック
    キャラクター上場している人
  • スタンダードとは、名前だけでも公表する人
    ( 年齢・写真非公開 )
  • アンダーグラウンド
    名前も写真もプライベート情報も全く公開したくない人
    ※ 評価経済社会の外で暮らす人

表のキャラと裏のキャラに大きなギャップがある人は信頼されない。どちらが本当のキャラか判別がつかないからだ。表での活動と同じように、裏でこっそりやっていた行為もいずれはバレてしまう。これからは「 本音と建前を一致させる 」生き方にシフトチェンジしたほうが、ずっと生きやすくなる。

④ 悪口で盛り上がる

悪口は割に合わない。できる限り、悪口は言わない方がよい。
悪口のどこがマズいのかというと、わいわい盛り上がっている人にはメリットしか見えず、それを外部から眺めている人にはデメリットしか見えない。

悪口を言っている方は楽しんでいるけど、 それを傍から見たり聞いたりしている人たちには、集団でえげつないことをやっているようにしか見えない。 悪口で盛り上がっている人たちがイヤな人に見えてしまう。まるで「 イジメの構造 」 そのものだ。

もし、悪口ばかり口にする人に出会ってしまったら「 いいひと煙幕 」を張って逃げる。爽やかに 「 私にはよく分かりません ( 笑 ) 」と適当な相づちを打って、さっさと立ち去ってしまう。相手には「 いいひと 」という印象を与えたまま逃げるので、攻撃されることもないし、評価が下がることもない。

本人が見聞きした時に平気かどうかが、悪口の境界線である。

⑤ 悲観的・否定的になる

いつも悲観的なことを言ったり、物事を否定したりすると、人の気力を損なってしまいます。

「 明日のデート、楽しみだね 」と期待に満ち溢れている彼女に対して「 いや、明日は雨らしいよ 」なんて言ってしまったら、全てが台なしだ。

自分を愛すること。多くの人が誤解していることだが、 僕たちの時代にこれほど利己的で攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が「 自分をあまりに愛している 」からではない。逆だ、自分を愛するということが、どういうことかを忘れてしまったせいだ。
『 呪いの時代 』内田樹

⑥ おもしろい人、頭の良い人、気の合う人だけで集まる

人間の心理には一定濃度で 「 ヤンキー成分 」 が存在する。ヤンキーとは「 抑圧 ( 不満や管理 ) に反抗することで目立って、自分に注目と仲間を集めようとする 」中二病を指す。ヤンキーは、徒党を組み、秘密で集まり、独自の論理で仲間をかばい合う。仲間のミスを隠し外部に攻撃心をむき出しにする。

面白く、頭が良く、気の合う人。こんな人ばかりで集まっていると、だんだん「 ヤンキー化 」が進む。

所属しているコミュニティに、頭の良い人によって面白いコンテンツがアップされる。 そこには気の合う人しかいないから、とても居心地がいい。だから次第に、外部のコミュニティを必要としなくなる。すると、だんだん「 ヤンキー化 」が始まる。人を「 仲間 」と「 敵 」にカテゴライズするようになる。仲間への批判には過敏になり、独自の論理を組んで反撃してしまう。

面白く、頭が良く、気の合う人しかいないコミュニティは、本来なら、素晴らしく理想的な関係にも見える。しかし、クローズドなコミュニティで集まっていると「 ヤンキー化 」に伴って「 伝える力 」も失いやすくなる。

もともと頭の回転が速い上に、既に基礎的な情報を共有しているのだから、新しいことを説明するのは簡単だ。ツーと言えば、カーと返ってくる。すごくやりやすいし、コミュニケーション・コストも安くつく。

でも、だからこそ「 仲間 」以外に伝える力を失ってしまう。

さらに、仲間だけで満足できていると、原理的に新人は必要なくなります。新人が入らない組織というのは、必ず時代に取り残される。

クローズドな組織やコミュニティは、個人のヤンキー化が進み、説明能力が低下する。個々だけでなく、組織全体で考えても損だ。

だから、組織やコミュニティは常に外部に対して開かれていなければならない。「 パブリック 」な存在として外部の視線に晒されていなければいけない。

「 いいひと 」に見えるか「 イヤな人 」に見えるかは「 状況 」や「 機会 」や「 局面 」で変わる。

「 いいひと戦略 」

かつて、世界が一つになる前「 いいひと戦略 」は、数ある戦のうちの一つに過ぎなかった。ごく一部の小さなコミュニティとしか関わることができず、自分と他者との関係性が固定化されていたから、例え「 いいひと 」と思われても、それは「 人格 」というパラメーターの一つに過ぎなかった。

だから「 いいひと戦略 」を取るよりも「 イヤな人戦略 」で自己利益を最大化したり「 投資戦略 」でマネタイズしたり「 受験戦略 」で有名な大学に入ったほうが、人や企業からモテたのです。

しかし、ハイパー情報化社会がこのパワーバランスを変えて「 いいひと戦略 」を取っている人間が採用されやすくなってしまった。有能な人材は必要な時だけ外注すれば済むようになった。お金やスキルよりも人格がモテの対象になった。

「 いいひと戦略 」は6つのフェーズからなっている。

「 いい人戦略 」メソッド論
① 助走:フォローする
② 離陸:共感する
③ 上昇:褒める
④ 巡航:手伝う・助ける・応援する
⑤ 再加速:教える
⑥ 軌道到達:マネー経済から抜け出す

① 助走

私たちは「 得られるもの 」より「 失うもの 」に目を向けてしまいがちだ。これは、思考の癖のようなものだ。だから、情報を公開することのリスクばかり考えてしまう。でも「 得られるもの 」にも、目を向ければ、そんなに怖いものではない。

② 離陸

「 共感 」は「 改善点を見つけて提案する 」の逆だ。私たちが一番傷つくのは「 共感されないこと 」だ。せっかく、面白い話をしたのに、相手が笑ってくれなかったり、感心してくれなかったりしたら、心が傷ついてしまう。例え、共感できなくても「 分かるよ 」 「 なるほどね 」と共感してあげる。

友達や上司がどんなにつまらないことを言っていても「 そうなんですね 」「 おお、なるほど 」「  そうかもしれない 」「 わかります 」と、 相手の味方になってあげる。

③ 上昇

共感することに慣れてきたら、そろそろ「 褒める 」ようにしていく。褒めるものは、何でもいい。自分が、相手に対して感じたことを、 言葉にしてあげる。

上手い言葉が頭に浮かぶまで待っていたら、表現力はいつまでも磨かれない。多少ピントがズレていても構わない、どんどん口にしていく。

「 いいひと戦略 」は、現代の武道だ。
毎日、型通りに練習をしないと上達しない。

感じたことと、言葉の意味とを正確に対応させようとするから、言葉にならない。 そんな時は、言葉にしたい意味周辺のことをなるべく多く口にしてみる。「 下手な鉄砲数撃ちゃ当たる 」と同じ原理だ。相手に向かって放たれた言葉の数々が輪郭を作り、立体化し、やがてその本質が相手に届きます。

「 いいひと 」に見られるためには「 他者がしてもらいたいと思うような行為 」をしなければいけない。その「 状況 」や「 局面 」や「 機会 」を増やすために「 いいひと戦略 」 はある。何に対しても褒めることは、基本的には「 良いこと 」だ。 私たちはその人を 「いいひと」 と呼ぶ。でも、過剰な評価はだんだん「 評価のインフレーション 」を起こしてしまうので、注意が必要だ。

評価の仕方が上手くなると評価が適切になってくる。あなたの評価に対する評価、すなわち他人からの信頼性が高まる。

どう褒めるか?
これを意識していくことで「 褒め力 」は鍛えられる。

④ 巡航

人を褒められるようになったら、次は誰かを手伝ったり、助けたり、応援したりするようにする。
週に1、2回で構わない。

「 おばあちゃんの荷物を持ってあげる 」でもいいし「 電車の椅子を譲ってあげる 」でもいい。とにかく、人を助ける。

人を助けたら、必ずTwitterやfacebookに書く。

「 おばあちゃんの手を握って、 横断歩道を渡るのを手伝ってあげた。 手が柔らかくて気持ち良かったよ(笑) 」

なぜだか分かるか?
私たちは「 本当のいいひと 」ではないからだ。

「 いいひと戦略 」という評価戦略を取っている人だから。これは「 戦略 」であり「 武道 」ですから、最後までやり抜くことが大切だ。パンチを途中で引っ込めてはいけない、最後まで打ち抜く。

おばあちゃんを助けただけでは、自分が「 いいひと 」であることが世の中に伝わらない。せっかくいいことをしたのに、周囲の人に知らせないなんて、もったいない。

「 評価戦略 」 なので、自分が「 いいひと 」であることを、おばあちゃんにだけではなく、ネット市民にも伝えないと攻撃力や防御力が上がらない。

人助けというと、 本当はとってもお得なのだ。手伝ったり、助けたり、応援することで、 自分の能力が飛躍的に上がります。

人は、自分のためには、それほど力を出せないが、人のためだといつも以上の力を出せる。

おまけに周りの人たちからは、無料で人助けしてくれる「 いいひと 」 と思われるので、徐々に依頼が入ってくる。こうした好循環が生まれ始めるので「 いいひと戦略 」 はすごくお得だ。「 いいひと 」に見られた方が絶対に得、 イヤな人や怖い人には人が寄ってこない。

⑤ 再加速

人はモノを教える立場に立った時、飛躍的に成長する。

学びは
・理解する
・やってみる
・成果を得る
・教える
で完結する。

「 人に教える 」という仕上げのプロセスで、学びは飛躍的に向上する。自分のためだけに学んでいる時は、説明する相手が自分だけだから、限界がある。そこからは、なかなか伸びない。でも、人に教えなきゃいけないと思って学び始めると、意識が変わる。

  • 「 どうやったら相手に伝わるかな? 」
  • 「 これを伝えるとしたら、どんな例え話をすればいいかな?」

「 生徒 」を持つことで自分の限界点はどんどん押し広げられていく。何でもいいから、とりあえず人に教えてみる。

どんな人でも、教える立場に立ちさえすれば、教えられるようになる。場数を踏めば、だんだん上手くなる。人間って良くできていて「 立場 」にくっついてくる、教える権利や、生徒に対する義務感や責任感が、そうさせる。

  • 「 先生になったからには、こいつの面倒はオレがみてやらなきゃいけない 」

立場に見合った自分というものを作らなければいけなくなるから、どうしても成長せざるを得ない。

時には「 先生、全然分かりませんよ 」と言われて、ダメージを食らうかもしれない。初めのうちはショックだろうけど、そこは先生という「 キャラ 」が叩かれているだけなんだ、と思う。

⑥ 軌道到達

3C
・コンテンツ
・コミュニティー
・キャラクター

この3つを掛け合わせることで、上昇気流が発達する。その中でも「 いいひと 」というキャラクターが、最後にはモノをいう。

よく、勘違いしてしまうのは「 人はコンテンツに惹かれる 」という考え方だ。

コンテンツは大きな動機となりうるが、コンテンツはあくまでも、キャラクターとコミュニティによって作り出される。

「 あのひと、キャラが立ってるよね 」と言われる人は、必ず両面的な存在である。両方から光が当たるからこそ、キャラクターが立体化する。いいひとであり、個性的なひとである。光が強くなると陰も濃くなる。

大事なのは、本音と建前を一致させることだ。

公的領域と私的領域の境界線がなくなる世界では、人々は積極的に自己表現をする 「 俳優 」として振る舞うか、あるいは俳優を観察する「 観客 」としての道を選ぶようになる。

言い換えれば、「 パブリック 」または「 スタンダード 」な人間になるか「 アンダーグラウンド 」な人間なるのか、という選択問題といえる。

そもそもお金というのは、 物々交換をスムーズにするための手段として生まれた。私たちが「 何とでも交換できる価値がある 」と信じている限り、お金は交換手段として有効だし、そのような交換価値兌換性こそがお金の最大の利点だ。みんながお金という手段を共有することで、欲しいもの、あげられるもの、できることの間で交換が成立する。だから、貨幣はここまで流通した。

なぜ経済成長が必要なのか?
人間は成長する動物だから。

人間には学習能力があります。同じ仕事を何回も経験すると、その仕事に習熟し、より短い時間でできるようになる。1年間同じ仕事を続けると、仕事の種類による差や学習能力の個人差はあるが、平均すると前年よりも数%短い時間で仕事をこなせるようになる。同じ仕事を今までよりも短い時間でできるなら、その分だけ多くお金を支払う必要がある。なぜなら、我々は仕事をお金という価値に換算しているからだ。このことが年間最低でも数%の経済成長が必要といわれる理由です。
  • 積極的にコミュニティにコミットすること、リスクを引き受けること
  • リスクを引き受けるいいひとこそが、自分のいいひとコミュニティが作れる。
いいひとを目指すのではなく、いいひとというキャラクターを目指す。

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