幸福は不幸の上にしか成り立たない
2021/10/13

不幸
私たちは普段、「幸福だ」と感じることはあまりない。一方で、「嫌だ」「辛い」「ムカつく」「つまらない」といった感情を抱く。「不幸だ」と意識することはないけど、無意識下では、不幸を認識している。
しかし、不幸があるからこそ、不幸でない状態が、認識できる。「嫌だな」「辛いな」という状態から解放されたとき、不幸ではなくなる。それは、幸福なのだ。
それは、人間の本能は、ネガティブに方向付けられているからだ。進化の過程で、ネガティブな人間の方が生存確率が高かったからに過ぎない。
現代では、生死を脅かされることなどほとんどなくなった。だから、これからの進化の過程では、ポジティブな人間が繁栄し、ネガティブな人間は絶滅していくのだろう。
ポジティブな人間とは、ネガティブの反対である。不幸ではなく、幸福に気付ける人間である。私たちは、不幸と同じ数だけ、幸福も体験している。モノゴトは必ず表裏一体だからだ。だから、幸福を見つける。
日本
シャワーでお湯が出ること
クーラーがあること
ラーメンが食べられること
食事の選択肢があること
24時間コンビニが空いていること
酒が売っていること
スマホの電波が入ること
私たちが当たり前に享受している常識は、日本を出れば、非常識である。
アジアで、水シャワーは、日常である。
クーラーなんか、あるわけがない、扇風機だけだ。
中東で麺なんてない。
アフリカで、豆やとうもろこしが主食である。
南米で、麺があっても、伸びてない麺はない。
24時間空いてるコンビニが至る所にあるなんて、便利を通り越して、異常だ。
中東に酒はない。
宿以外では、Wifiがない中では、スマホは通信できない文鎮だ。
「おもてなし」に代表されるような、細やかな気遣いは、日本人特有のものだ。だから、日本は、こんなにも快適なのだ。「快適を極めたら日本ができあがった」と言っても過言ではない。
- 日本にいると気付かない。
- 私たちは、相対的にしかモノゴトを判断できない。
- だから、日本にいて、日本の良さに気付けない。
- 日本の外に出ることで、海外を知ることで、日本の良さに気付ける。
幸福
幸福も同じだ。不幸を知ることで、「不幸じゃないのは、幸福だ」と気付くことだ。
日本にいても、幸福に気付くには、感謝である。「ありがとう」である。日々の生活の中で、美味しいご飯を食べられること、仕事があること、仕事の休みがあること、家族がいること、友人がいること、スマホがあること、電波が通じること、ありとあらゆることが当たり前でないことに気付くことだ。そうすると感謝が生まれる。「ありがとう」が生まれる。「ありがとう」と言う習慣を付けることで、感謝が生まれ、幸福に気付ける。
- ただ、生きていることに感謝する。
- 朝、起きた時点で、死ななかったことに感謝する。
世界には、昨日寝て、今日起きない人がいるのだから。 - 今日も生きている、ありがとう。

コメント