【本要約】幸福の資本論3 〜 金融資本

【本要約】幸福の資本論3 〜 金融資本

2021/6/9

【本要約】幸福の資本論2 〜 幸福の定義
金融資産 → 自由 / 人的資本 → 自己実現 / 社会資本 → 共同体 = 絆

自由とは?

人は、人生の自由を当然のように享受している。しかし、その自由は、お金の上に成り立っている。自由とは、誰にも何ものにも隷属しない状態のことである。そのためには、お金が必要である。

金融資産で、最重要なのは、経済的独立を果たすことである。
経済的独立
国家にも、会社にも、家族にも依存せず、自由に生きるのに十分な資産を持つこと

この考えを市場原理主義という。

人は、人生の様々な場面で、選択を迫られる。そして、多くの場合、自由ではなく、隷属を選ばざるを得ない。それは、国家や、会社や、家族に生活を依存し、経済的に独立していないからだ。

自由とは、主観的な心の問題ではない。

自由の獲得

戦後、日本の政治において、地元の商店主や地域に根差した中小企業の経営者達が、政治家の後援会の中核となった。彼らの便宜を図ることが、政治家の死活問題であった。そのため、収入や資産の多寡に関わらず、自営業者や中小企業は全て、社会的弱者として優遇されることになった。

個人と法人の2つの人格を使い分ければ、この税負担を合法的に大きく軽減できる。これが、自営業者や中小企業のオーナー社長が、急速に蓄財していく理由である。

限界効用逓減

限界効用逓減
悲劇も喜劇も、いずれ慣れてしまうという、人の心理に基づく普遍的な法則

お金も例外ではない。日本では年収800万円を超えると幸福度は、ほとんど上昇しなくなる。年収800万円までは、お金は幸福に最も確実な方法である。

そして、年収1,500万円を超えるとお金の限界効用は0に近づく。それは、いったん、お金から自由になるということであり、それ以上収入が増えても幸福度は変わらなくなる。

金融資産が1億円を超えると幸福度は増えなくなる。

見解

確かに、年収1,500万円は、「お金のことを、あまり気にしなくてもいい」というのは事実である。しかし、お金から自由になったわけではない。会社に行かないと、仕事をしないと、お金は得られない。

  • 幸福度は、個人の主観による。
  • お金は、欲望を満たす象徴である。

人間の欲望には際限がない。
だたら、人間は慢性的な飢餓である。

  • 欲望へ飢餓している。
  • お金へ飢餓している。

これから、どのくらいの収入を得て、どのくらいの資産を築いても、その飢餓はなくならないだろう。例え、死ぬまで使いきれない資産を築いたとしても。それほどまでに、お金への飢餓は、人間の肉体に染み付いている。本能と呼べるほどに。

お金の正体

稼いだお金の額が成功 = 自己実現の基準という人もいる。

しかし、お金の多少は、単なる電子データでしかない。大富豪は、限界効用が0になった電子データの数字を増やすよりも、それを社会に還元して、評判=名声と交換した方がずっと幸福になると知っているから、慈善事業に寄付をする。

見解

” 稼いだお金の額が成功 = 自己実現 ” という意見には、同意できない。それは、自己実現を定義できていないからに他ならない。一方で、” 稼いだお金の額 = 成功の証であることには、完全に同意である。稼いだお金の額である社会人の年収は、子どもの学校の成績のことだ。

お金の向こう側は、” 他人からの評価 = 名声 ” には納得がいく。人は社会性の生き物であるからだ。

資本主義

すべての富は差異から生まれる。

経済成長というのは市場取引の規模が拡大していくことである。その原動力は、「人々の豊かになりたい」という欲望である。この欲望には、今のところ、限りがないから、人口増や貧国の人々の市場参入によって、自己増殖していく。

資本主義が人間の欲望によって自己増殖していくシステムであれば、長期的に株式市場に投資することで利益を手にすることができる。

マイナス金利の世界では、賢い人は、利潤を最大化するために、金融資本より人的資本を有効活用する、働く。

見解

金融資産は、長期株式投資という答えである。しかし、それは、資本主義が、経済成長が、人口増が、人々の飽くなき欲望が前提条件が付く。

【本エッセンス】14歳からの資本主義
資本主義は、本来の役割を失い、自己成長を制御できず、暴走をはじめている。人々は、資本主義が生み出したテクノロジーに、コントロールされている。

経済的独立を果たしていない人は、働くことで金融資本を獲得するしかない。

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