【本要約】幸福の資本論5 〜 社会資本

【本要約】幸福の資本論5 〜 社会資本

2021/6/9

【本要約】幸福の資本論4 〜 人的資本
フリーエージェント戦略①好きなことに人的資本の全てを投入する。②好きなことをマネタイズ(ビジネス化)できるニッチを見つける。

社会資本

社会資本とは、人間関係のつながりであるが、金融資産や人的資本と比較して、数値化が困難である。一方で、「幸福」は、社会資本からしか生まれない。
  • 巨万の富を手にしても、誰も知らなければ、金融資産は、紙切れでしかない。
  • 会社内や社会での高い評価がなければ、人的資本の自己実現はできない。

人類は、長い進化の過程で、つながりが幸福感を生むようになった。

幸福という感情は、進化論的合理性によって、生まれた。家族や仲間と強いつながりを感じたり、共同体の中で高い評価を得たときに幸福感を感じるように、人間はプログラムされている。

人間3つの社会空間】

  1. 愛情空間
    最も大切な、家族や恋人との関係
  2. 友情空間
    愛情空間のまわりにある、友達との関係
  3. 貨幣空間
    貨幣を通してつながっている、他人との関係

図:本著「幸福の資本論」より引用

人間関係の主観的な重み

  1. 愛情空間の重みが80%
  2. 友情空間の重みが19%
  3. 貨幣空間の重みが1%

愛情空間に高い価値を置くのは、進化論的に最適化されているからである。他人の子どもを放置して、自分の子どもを特別に扱い、困っている人を放置して家族の幸福を優先する。

友情空間が大切なのも、人は社会性の生き物だからである。狩猟採集時代、人類の祖先は、群れを作って生きてきた。群れから追放されることは、そのまま、死を意味した。人は1人では生きていけなかった。

貨幣空間は、農耕と交易によって生まれ、一万数千年の歴史しかない。それが、貨幣空間に価値を認めない理由である。

人類は、進化の歴史の重さによって、愛情・友情という古い人間関係と比較して、貨幣を介する新しいつながりの重要性を、正しく認識できない。

人間関係

友達

友達とは、時間軸だけでなく、空間的にも排他的な人間関係である。

地方のマイルドヤンキーが地元を離れないのは、同じ空気を共有できなければ、友情が枯れることを知っているからだ。

地球上には、何十億人もの人々がいるが、友達になれる人はごく僅かであり、また、それを維持するのはもっと難しいから、友達の存在自体が一つの奇跡である。

こうして、40代を過ぎた頃から友達は急速に減っていく。

友達関係の核にあるのは、平等体験である。

小学校・中学校・高校の入学式の後、初めてクラスで集まった時、生徒たちは平等である。クラスという新しい共同体の中で、みんなが横一列に並んでいるという主観的な経験である。これが平等体験で、お互いの関係の核になっているから、友情が成立する。

会社の同期が、友達意識を生み出すことは不思議ではない。日本の会社もそれを知っているからこそ、新卒一括採用に拘り、同期によって階層化された社員共同体を維持しようとしてきた。

恋人

人は、無意識に、お金をネガティヴに捉える。それは、お金が、愛情・友情といった大切な価値観を破壊するからだ。

彼女とのセックスの後に、3万円を渡せば彼女は怒るが、3万円のアクセサリーを渡せば喜ぶ。

人は、無意識のうちに、愛情・友情空間と貨幣空間を区別している。そして、愛情・友情空間に貨幣が混入することを避けている。

人生においても、金融資産(貨幣空間)と社会資本(愛情・友情空間)は、両立不可能である。富(金融資産)が大きくなると、全ての人間関係に金銭が介在するようになって友情は壊れていく。愛情と友情に包まれた億万長者は原理的には存在しない。

悟り

社会性の生き物である人のネットワークは、感情を、伝染させる。幸福や不幸も伝染させる。人の脳は無意識のうちに周囲の人々の感情を真似し、吸収するようにできている。意識的に、「他人と違うことをしたい」と思っていても、無意識レベルでは、大衆に合わせている。

金銭と健康を除いた人生の問題のほとんどは、人間関係から起こる。

幸福も不幸も社会資本から生まれるとすれば、二つの極論が導き出される。

  • 人間関係の面倒を厭わず、共同体の中で生きること。
  • 人間関係を絶ってしまうこと。
    全ての社会資本を、愛情・友情空間から貨幣空間に置き換えるということ。
    デートはキャバクラで、セックスは風俗で、クラブやパーティーで出会った仲間と盛り上がる。

仏教における煩悩は、突き詰めれば、全て人間関係 ( 社会資本 ) から、生じる。
煩悩から自由になることを『悟り』と仏陀は言った。
人間関係を絶つことは、『悟り』と同じである。
お金とテクノロジーによって、一切の修行なく、誰でも『悟り』を開くことができるような時代になった。

そして、人間関係は、映画やテレビ、アニメやゲームで、擬似的に代替えできる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました