「 幸福のランチ 」から辿る ” モノよりもコト “
2022/2/8
いつもは、弁当だ。自炊は生活の一部である。夜ご飯の余りを入れて弁当にする。
弁当のときに思う、こんなに美味しい日本食を食べられるのは、ここが日本だからだ。最高だ、幸せだ。「 好きなときに、好きなもの、日本食を食べられることは幸せだ 」と気付いたのは、海外で1年を過ごしたからだ。日本って素晴らしい、日本食って素晴らしい。
たまには、ランチだ。
ラーメンや、オムライスや、チャーハンや、ハンバーグだ。
美味しい、こんなに美味しいのに、1,000円しない。どんな仕事でも、1時間働けば、このランチが食べられる。いつのまにか、東京の最低賃金は、1,000円を超えていた。
うーん、とても、素晴らしい世界だ。
たまには、リッチなランチだ。
焼肉ランチで、ビールも呑んで、2,500円である。至福の時である。
いつもは、5分で食べ終わる弁当のランチ
ビールを呑み、ゆったりと食事を楽しんで、デザートまで食べて、1時間半のランチ
「 美味しいなー 」って思って食べて、
「 楽しいなー 」って思って食べて、
「 昼間から贅沢だなー 」って思って食べて、
「 幸せだなー 」って思う。
- 10万円のコートを買うよりも、20回、このランチを食べた方が、「 幸福度が高いな 」と思う。月に1回だとしても、1年半楽しめる。しかも、毎月、楽しみである。
- 10万円のコートは、買うまでが楽しみで、買ったときが幸福度のピークで、その後は、だんだん、幸福度が下がる、というか、コートを気にしなくなっていく。いつものコートになる。
10万円の使い道は、人それぞれだ。個人の価値観次第である。
- 私は、自分に10万円のコートを買うよりも、あなたと10回1万円の食事がしたい。
- あなたが10万円のコートを欲しがるなら、あなたに10万円のコートを買うよ。
でも、5万円のコートを買って、5回1万円の食事をしよう。
くらいがいいな。
私は、コートはいらない。私は、モノよりも、あなたと楽しく食事がしたいし、あなたが欲しいならば、私のできる範囲で買って、あなたを喜ばせたい。私でもあなたでもなく、2人合わせた最大幸福のために10万円を使うことが、私の幸せである。そこには、私の物欲は存在しない。欲しいモノは、あなたと過ごす時間であり、あなたの笑顔である。それに勝る価値は存在しない。
コートはやがて壊れてなくなる、モノはいつかなくなる。食事の記憶はなくならない、コトはなくならない。
・自分の中にあるモノは、ずっとずっと自分のモノだ。
死ぬまでの資産だ。いつでも好きなときに楽しめる。思い出すだけでいい。
自分の外にあるモノは、初めから持っていなかった。
自分の外にあるモノは、この人生で得たモノだ。
そして、自分の外にあるモノは、人生の終わりに、すべて置いていかなければならない。
誰にも奪われることなく自分だけの中にあり、ずっと持ち続けられるモノ、それが、コトの記憶、思い出である。
『 モノよりもコト 』私なりの表現
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