「これからの生き方」からの思考
2021/12/24

一部抜粋
グローバルで成功している企業は、もうすでに成功するための方法論ができている。だから、高い目標を持っていても、大変ではない。やるべきことをやっていけば、成果がついてくる。答えがわかっているから、楽である。
- 「答えがある問題を物足りない」と思う人もいる。
- 「ルーチンワークを飽きてしまいそう」と思う人もいる。
人は「やりたいことがあるほうが強い」と思いがちだが、それは逆だ。やりたいことがある人のほうが弱いのだ。なぜなら、そのやりたいことを奪われてしまったとき、ダメージを受けるからだ。
一方で、やりたいことがない人は、その意味で強い、打たれ強いのだ。いや、正確にいうならば「やりたいことがないけれど、自分の足で立つことができている人は最強」ということだ。「やりたいことがなく、現状に不満もなく、閉塞された社会で『正解がある問題に対して取り組む』というルーチンワークを継続できる」という才能である。やりたいことがないことは、気楽である。
挫折は、やりたいことがある人の元にしか訪れない。
- やりたいことがある人は、やりたいことへの道をまっすぐに進む、だから、障害物があって、それを回避するか、乗り越えるかの必要がある。
- それを見て、やりたいことがない人は、茨の道を歩いているように見える。
やりたいことがない人
やりたいことがない人?
やりたいことがない人がいる?
やりたいことがない人がいる?
私は、やりたいことしかない。そして、やりたいことは、この人生の残り時間のすべてを使ってもやりきれないことを知っている。
私は、世界のすべての国に行きたい。世界のいろんな都市に行きたい。気に入った街では、暮らしてみたい。そんなことを全部叶えるには、お金もかかるが、圧倒的に人生の時間が足りない。数百年くらい必要だ。でも、数百年経ったら、また、世界は変容しているから、国が成長し、都市が発展し、街が変遷しているから、また、そこに行きたい。それはもう、エンドレスだ。世界以外にも、キャンピングカーで、国内外問わず旅したい。
やりたいことはキリがない。そのためには、お金が必要だ。だから、お金を稼がなければならない。
やりたいことがあるから、やりたいことをやるためには、お金を稼がなければならない。そのお金は、サラリーマンという労働者では辿り着けないから、起業して資本家として辿り着かなければならない。だから、簡単に、働けない。それは、やりたいことをやる道につながっていなければ、とりあえず、歩いてみることができない。サラリーマンとしては、働けない。
確かに、やりたいことがあるというのは、茨の道かもしれない。
- やりたいことがあるというのは「やりたいこと以外はできない」という不便さを併せ持つ。
- 「やりたくないことはやらない」どころの不便さではない。
「やりたいことがある」というのは、確かに大変かもしれない。自分を自分で徹底的に縛っているからだ。
やりたいことがあるから「やりたいことがあることが当たり前だ」と思っていた。私の常識は、他人の非常識である。
「やりたいことがない」という生き方は、想像すらしたことがなかった。だから、わからない。
なぜ生きられるんだろう?
何のために生きるんだろう?
死ぬまでにどうしてもやりたいことがないのか?
どういうこと?
私は私で「私にあるモノは、当然、他人にもある」と思っている。
わからない。
「やりたいことがない」という世界が理解できない。
やりたいことがなくて、どうして生きられるのかが、わからない。
死なないから生きているだけってこと?
死ねないから生きているだけってこと?
ただ、死なないように生きているだけってこと?
やりたいことがない世界が想像できない。わからない。
自分の中で、気にも留めたことがないから、初めてのことだから、衝撃が走る。
世界をどんな風に観ているんだろう?
世界の景色は、私の見える景色とどれほど違うんだろう?
でも、別の視座では、私は、やりたいことに縛られているのか。縛られているということは、不自由なのか。
やりたいことがない人は、やりたいことがないから、自由なのか。自由とは、何も考えないことなのか。無心であることが、自由なのか。
自由が、わかってきた気がしてたけど、自由が、また、わからなくなってきたから、人生は、おもしろい。
やりたいことがない人はイメージできないけど、やりたくない人がいるのは、人生の大発見だった。自分の中のコアには、自分では気付けない。
私は、やりたいことがあるから生きている。





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