健康教

健康

健康教

2021/5/13

世界に絶対などない。
何かを絶対的に信仰することを、宗教という。

健康を絶対的なものとして信じている。
すべての人が、「健康でありたい」と願っていると思う。

それは、健康教を信仰していることだ。

価値観の受容

” 健康診断でE判定が3つも出たのに、病院にも行かず、完全に無視して生きている ” という人に出会った。

「太く短くが家訓だ」と言われて、少しは、納得がいったものの。そんなにすぐに理解はできなかった。

「みんな健康でありたいはずだ」という、自分の中の価値観が、根底から揺るがされたのだ。

健康志向ではなく健康思考

健康について思考する。

健康を気遣うことは、「自分の未来をよりよくしたい」というおもいがある。

未来の自分がよりよく生きるために、今、健康にいいことをする。病院に行ったり、やりたくないことをやったり、好きなものをやめたりする。

健康に無関心ということは、今を生きているのだ。

今を楽しむことが1番重要だから、今、やりたくないことはやらないし、好きなものは好きなだけやる。好きなだけ飲み好きなだけ食べる。

今を楽しむことに全力である。未来のことは、知らない。健康?何それ?食べれんの?美味しいの?状態である。

  • 健康とは、未来の自分への身体の投資である。
  • お金の投資とは、未来の自分へのお金の投資である。

宵越しの銭は持たないという、江戸っ子という生き方が、存在するのだ。宵越しの健康は持たないという、今を最大限楽しむ暴飲暴食という生き方も、また、存在するのだ。

暴飲暴食を正当化
自分と価値観が違う人の考えを理解するには、知識が必要だ。知識によって、新しい価値観を受け入れられる。共感はできないけど、理解はできる。人は、それぞれ、価値観が違うだけだ。

「健康はすべての人が求めているものだ」と信仰することは、宗教だ。

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