心の折れる音
2022/6/1
真面目
私は、頑張り屋さんである。何事も、真面目にコツコツと継続できる。何でも、すぐに上手にはなれないが、コツをつかむのに時間がかかるが、たゆまずに努力できる。その習性のおかげで、だいたいのことは為し得たきたし、これからも、為し得ていくことがわかっている。挫折したことはあるが、「 自分で諦めた 」ということは、ほとんど記憶にない。
方向音痴は、少しは、何とかなったけど、音痴は、諦めた。音痴は感覚で、私には、その感覚がない、耳の機能が、他人と異なると結論付けて、諦めた。
もうひとつある。
心の音
心が折れる音を聞いたことがあるだろうか?
心って折れると「 パキッ 」ていうんだぜ。
私は人生で一度だけ、その心の折れる音を聞いたことがある。メチャクチャ好きだったけど、結婚しようと思うくらいだったけど、相手の要望のハードルが高過ぎた。がんばってついていってたけど、あるとき、このハードルは、超えられないし、超えたとしても、もっと先があるかもしれないと感じた。未来を期待できなくなって、絶望したときに、聞こえた。「 パキッ 」って音がした。ハッキリと「 パキッ 」って聞こえた。あの瞬間のことは、とても、記憶に残っている。心の折れる音が、あんなにハッキリ聞こえるもんなんだと知った。
それまでも、心が折れるほどの挫折は、何度もあった。でも、そんなにハッキリと心が折れる音が聞こえることはなかった。それまでは、徐々に心にヒビが入っていって、折れていたことにすら気付かなかったのだろう、私は頑張り屋さんだから。
多分「 恋愛に冷めた 」っていう感覚に近いんだと思う。私は、鈍感で、フラれることばかりなので「 冷める 」という感覚が、よくわからないんだけれど。
それまで、必死に頑張ってついていってたのに、心が折れてしまったら、もう、頑張る気力がなくなってしまった。「 終わったな 」ってハッキリと感じた。そして、実際に終わった。そのとき「 心が折れる 」という経験と、恋愛は2人でするものだから「 1人があきらめたら、試合終了だ 」ということを学んだ。
それからは、別れ話をすんなり受け入れるようになった。いや、相手から、いつ試合終了を突きつけられても構わない程度の距離感に自分を置いたのかもしれない。何かが決定的に変わり、何かが決定的に失われた。何かを得たり、失ったりするのが人生である。
歯医者
歯医者に行った。その歯医者に、通い出してから、1年数ヶ月で1〜2ヶ月に1回通っている。その歯医者は、歯がきちんと磨けているかを数字で示してくれる。私は、数字が好きなので、最初は、ゲーム感覚で、数字を良くすることを頑張っていた。毎月、数字が良くなるかを試してみて、うまくいかなかったときは、どこが問題なのかを聞いて、歯磨きの仕方、歯磨きの道具を、いろいろ工夫してきた。でも、数字は、毎回、上下して、歯磨きの指導の効果を感じることもなくなってきていた。どうやら、私は、歯磨きが苦手らしいということに気付いた。
私は、苦手なことは、他人にお願いして、自分の得意なことにだけ集中するように、本から学んだ。
それもあって、歯磨きが苦手なら、何とか、誰かにお願いできないかなと考えた。歯医者に行く機会を増やすことで、対応できないか聞いた。保険の範囲内だと月に1回までだと。
人は、結果が出ないことを継続することは難しい。人は、苦手なことを継続するのは、骨が折れる。
心の折れる音が「 パキッ 」とハッキリ聞こえた訳ではないけど、折れたのは、わかった。
だからと言って、歯を磨くことを辞められるわけじゃない。苦手でも、苦手なりにやっていくしかないというふうに、あきらめた。
応用問題
苦手なことは、誰かにお願いすればいいけれど、誰かにお願いできないこともある。人生は、教科書通りにいかないものだ。人生に起こることは、だいたい、教科書にない、応用問題でしかない。
- 金を稼いで自由診療にするか
- 歯科衛生士と仲良くなるか
- 歯磨き人工知能を開発するか
誰かを考えることが応用問題だ。決して苦手なことを、上手にやれるようにできないかを考えてはいけない。苦手なことは、あきらめることが、最適な生存戦略なのだから。
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