喉の渇き、心の渇き

悩み

喉の渇き、心の渇き

2021/12/30

・喉が渇いている
・心が渇いている
・お腹が乾いている
・喉が渇いている:水分を欲している
・心が渇いている:愛を欲している
・お腹が渇いている:お腹が減っている → 食物を欲している。

水分や食物は、わかりやすい。目に見える物質であり、私たちがこれまでずっと欲してきたし、その欲を満たしてきた。だから、その渇望は、身にも心にも沁みている。その渇望と満足を心得ている。

でも、私たちは、心が渇いていることに無頓着だ。心が渇いていても、簡単に満たすことはできないし、心が渇いていても、それに気付くことは容易ではない。心の渇きは、目に見える何かによって、潤されるものでもない。心は、渇いていることに気付かないからこそ、根深い。

なぜ、私たちは、心が渇いていることに気付かないのか?

死なないからだ。

水や食べ物が渇いていたら、死ぬ。
だけど、心が渇いていても死なない。
だから、私たちは、気付かない。

なんだか、満たされない。
今の生活に不満はないのに、何かが足りない。
何が欲しいのかわからないけど、何かが欲しい。
わからないけど、見えないけど、何かもう少しで届きそうな気がする。

心の渇きは、目に見えない、心で何となく感じるしかない。
心が何か感じたら、それは、渇きである。
そして、心の渇きは、愛でしか満たされない。

心の渇きは、愛なのはわかる。

だけど「愛」って何だ?

心の渇きが目に見えないように、愛も目に見えない。

心の渇きは、愛でしか満たされないけど、愛があるからって、必ずしも心の渇きが潤されるわけじゃない。心の渇き以上に、愛は難しい。愛が難しいのは、心の渇きは、自分の心の問題だけで、愛は、相手と自分の二人の心の問題だからだ。そういう意味で、心の渇きは誰かの愛で潤うけど、愛は双方向でないと満たされない。私はあなたに満たされているけれど、あなたは私で満たされているのかは、わからない。

愛は難しい。
わからないことは難しい。

心の渇きは愛でしか満たせないけど、実は、喉の渇きやお腹の渇きを潤すことで、代替的に潤すことで、誤魔化せるという事実がある。心が渇いていても、お腹が満たされれば眠くなる。心が渇いていて、愛で満たされれば眠くなる。渇きが満たされたら、眠くなる。

私たちは、心の渇きを、お腹の渇きを満たすことで代替的に満たすことで、生きている。愛がなくても、生きていけるのは、そういうことなのだ。

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