湯浅家、家訓
2022/3/21
自分だけで生きなさい。
何でも自分ひとりでやりなさい。
自分で何でもひとりでできるようになりなさい。
他人を頼ってはいけません。
自分の力だけしか頼ってはいけません。
多分、そういう風なことを言いたかったわけではないのだろうとは、思うのだが、私は、無意識にそいう風に解釈したのだ。
私たちは、子どもの頃「 そっち行くとは危ないよ 」と言われた。
それは言葉である。
本質は「 そっちへ行ってはダメだ 」という意図である。
言葉としては「 危ないよ 」という意味だけど、「 ダメだ 」という意図が本心なのだ。
海外へ行って、食事をしていて、味が薄いと思って「 塩ありますか?」と聞く。すると店員は「 あります 」と答える。しかし、待てど暮らせど、塩が運ばれることはない。「 塩を持ってきてください 」と言っていないならば、塩を持ってきてもらえない。
「 塩ありますか?」と聞いているだけなのに、塩が運ばれてくるのは、日本だけだ。「 塩があるか 」という言葉と「 塩を持ってくる 」という行動には、本来、隔たりがある。その隔たりを、思いやりによって、補っているのが、日本の特徴なのだ。その思いやりを空気と訳すこともできる。
空気の捉え方は、人次第である。だから「 人に迷惑をかけてはいけない 」という親の教えを、私は、空気で捉えた。自分なりに解釈した。振り返ってみると、生きづらかったのかもしれない。
私は、ひとりで何でもできなければならないと、必死に、足掻いて、もがいて、わからなくなって、そして、また、足掻いて、もがいて、生きてきた人生だったように思う。
もちろん、人に迷惑をかけたし、人に頼ってきたことは、間違いない。人はひとりでは生きられないのだから。でも、極力、それを、避けてきた人生ではあったように思う。
湯浅家の家訓「 人に迷惑をかけてはいけない 」は、小さな頃から、刷り込まれ、骨の髄まで、無意識にまで、染み込んだ教えである。そう簡単に、変えられない。本質的には、死ぬまで、この家訓に影響されるのだろう。
その家訓があったからこその人生でもあったのかもしれない。だから、別に、それがどうのこうのではない。だけど、自分の基軸を認識することが、重要なのだ。
私は湯浅家の家訓をアレンジする。
私流に進化させる。
↓
「 人に迷惑をかけてはいけないけど、人に頼っていい 」
人に迷惑をかけてはいけないけど、人に頼っていい。迷惑と頼ることは違う。何が違うのかは、まだ、わからない。そうやって生きてこなかったから。
そういう風に解釈できるようになった、それまで、42年もの歳月を必要とした。
だからこそ、今、思うのは「 人に頼られる人間になろう 」ということだ。
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