「これからの生き方」からの思考
2022/2/2

一部抜粋
人というのは生き方だけは嘘が付けない。
「 人は言葉で嘘を付くことができても、長期目線での行動 = 習慣では決して嘘が付けない 」というのが、真理である。人間の本性は、苦しいときにこそ出る。
「 他人と違うこと 」「 自分の信じた道を行くこと 」「 悩みながら決断すること 」これを選ぶとき、誰もが孤独・不安になるものだ。なぜなら、自分の弱さと向き合わなければならないからである。
そのためには、人生のどこかで自分が孤独になる時間を許す必要がある。「 その孤独になる時間を支えてくれ る」のは、他人でも友人でもなく、やはり「 自分 」であり、「 自分の感覚を信じられるかどうか 」だ。
感性をお金に変える力が技術である。
技術を身に付けるためのマニュアルは世の中にたくさんある。しかし、感性を武器に変えるマニュアルはない。
悩むことや自分の感性に基づいて苦しむことは長い目で見ると財産になる。苦しんだ経験や悩んだ分だけ、自分を救う武器となる。
『 これからの生き方 』より一部抜粋
何かがおかしい
何かがおかしい、何となく変である。どこか変な方向へ行っている。コレは、間違っている。でも、私は「 何が間違っているのか 」を言語化できない。言語ができる知識を持っていない。
そして、そこに理由はない。論理的な根拠もない。あるのは、私の直感だけである、私の感覚だけである。私は私を信じている。私を信じれるのは、私だけなのだ。世界中に私を信じられるのは、私しかいないのだ。
無職になって、丸3年が経とうとしている。
1年は、世界一周だからいいとしても、残りの2年は、ニートである。
ずっと、自分の貯蓄を崩しながら生きている。
毎日、本を読んで、それを要約している。知識と教養を付けている。私は「 私が何をわからないのか 」わからない。私は「 どうすれば『 何がおかしいのか 』を言語化することができるのか 」わからない。私は「 どうすれば、私の直感を、論理的に説明できるか 」わからない。
私は「 私が何に悩んでいるのか 」をやっと、言語化できた。私は、これまで「 何に悩んでいるのか 」をハッキリと言語化できていないかった。「 何かおかしい 」から「 なんか勉強しよう」という、モヤモヤしたものだった。
私は、言語化できない、論理的に説明できない、でも、ただ、自分の直感を信じて、自分の違和感を払拭すべく「 見えない何か 」と戦っている。
直感なのだから、誰にも説明できない、自分にすら、説明できない中で、私は、その直感を信じている。その直感だけを信じて、2年間、本を読み学び続けている。
クレイジーである、非常識である。「 何か変だな 」って直感がするから、引きこもって、本を読み続けている。
「 何が変なのか 」は言語化できないけれど、私は、自分の状況を、自分の抱えている現状を、可視化できた、言語化できた。
私は、湯浅淳一の直感を信じている。
私は、湯浅淳一が「 何か変だ 」と言うなら、私も「 変なんだろう 」と信じられる。
私は、ただ、湯浅淳一という自分を信じている。





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