I believe
2022/2/11
- エネルギーが高い所から低い所へ拡散していく
- 上がったものは下がる、温めた熱は冷めていく
- 水が、高いところから低いところへ流れる
エネルギーは、測ることができない。エネルギーは科学が生み出した抽象的な概念だ。でも、私たちは、エネルギーがある人をエネルギッシュな人と表現するように、感覚で、エネルギーを捉えることができる。
熱は見えない。熱は温度計で測ることもできるし、お湯は湯気が出ていて、熱そうな感覚もわかる。冷めた時の感覚もわかる。
水か流れていくのは、目で見える。高低差を測ることができる。重力という概念で説明もできる。
- 目に見えず、測れない
- 目に見えないけど、測れる
- 目に見えるし、測れる
現象としては同じである。
下がっていく。
意志や信念から生まれるエネルギーは、持続性があるわけではなく、周りの環境に溶けていく。エネルギーは、思考の産物なので、人によって異なる、人でも環境によって異なる、時期によって異なる。
私は、エネルギーがある。それは、私が常に、現状よりも「 もっと上を目指す 」という性質を持つからだ。というか、そうやってしか生きられない。
東大に入りたい、お金持ちになりたい、世界一周したい。
そして、今は、FIREしたい。
じゃあ、どうするの?
すべてが自分の計画通りな訳でもなく、偶然に左右されてきたけれど、だいたい、できた。東大には入れなかったけど。
想像したことが必ずできるわけではない。想像したことが必ずできるなら、みんながお金持ちだろう。想像したことを想像し続ける、継続する、それが「 信じる 」ということだ。

ユヴァル・ノア・ハラリ
そして、現在も世界の人口の1/3を占めるキリスト教は、言わずもがな、キリストを信じている。何世紀にも渡って作られる教会は、人智を超えた信仰があってこそだ。「 自分の生涯では完成しない建築物を設計する 」という世界である。
その「 信じる 」という目に見えない行為を極めたモノが宗教であって、キリスト教以外に、イスラム教・仏教・ヒンズー教と様々な宗教がある。
私たち日本人は「 無宗教である 」と言うが、その思想の根本には、たくさんの宗教の寄せ集めである。生まれては、神社へ行き、通りゃんせで遊び ( 神道 )、クリスマスを祝い、初詣へ行き、卒業式に君が代を歌い、大安に教会で結婚して、親を敬い ( 儒教 )、厄年にお祓いへ行き、死んだら坊さんにお参りしてもらって、墓に祀って、お彼岸やお盆へ、墓へ行って先祖を大切にする。
そうやって、私たち人類は、何かを信じて生きている。何を信じるのかは、個人次第である。
聖書を信じる人もいれば、親を信じる人もいれば、学校を信じる人もいれば、科学を信じる人もいれば、お金 ( 資本主義 ) を信じる人もいる。
当たり前などなく、それは、一つの信じていることでしかない。
・教師は、ビジネスの世界を知らない、お金を稼ぐことを知らない、学校という社会しか知らない人たちである。
・科学は条件付きの仮説に過ぎない、地球だから重力がある、宇宙にはない、私たちが地球に住んでいるだけだ。
・一万円札の原価は22円である。一万円札の価値は一定じゃない、アフリカでは現地通貨で五千円の価値しかない。私たちが日本に住んでるだけだ。
私たちが信じているモノは、時代や環境と共に変化していく。「 地球が動いている 」って言ったら、殺される時代があったのだ。20年前に、誰が「 新聞やテレビがオワコンになる 」と思っただろうか?
・「 人は空を飛べる 」と信じたから飛行機がある。
・「 世界のすべての情報を検索できる 」と信じたから、Googleがある。
・「 小さいパソコンをスマートフォン = 電話だ 」と信じたから、アフリカのマサイ族ですら、スマホを持っている。
・「 空を飛べるはずがない 」と信じていたら、宇宙へも行けなかった。地球が回っている姿を見ることができなかった。
自分を信じた人たちが、偉人呼ばれ、伝記になったりしている。
私たちが、普段何気なく使っている、自転車・バイク・車・電車・新幹線・飛行機、よく考えたら、スゴいんだ。
江戸時代、みんな歩いてたんだよ。
天下人の徳川家康だって、最速で、馬だよ。
徳川家康に車あげたら、一つの藩くらいもらえるよ。
車は当初、馬なし馬車と呼ばれて普及した。「 馬なし馬車って何?」って感じだけど、それは、スマートフォンと一緒だ。スマートフォンは電話じゃない、小さいパソコンだ。スティーブ・ジョブスが、 小さいパソコンを「 iPhone=電話だ 」と言い切ったから、みんなが「 電話だ 」と信じたから、普及したんだ。小さなパソコン、キーボード付きのBlackBerryは普及しなかった。
誰かが、何かを信じて、
「 地球が回っている 」と言ったり、
「 人は空を飛べる 」と作ったり、
「 電話というパソコン 」を作ったり、
「 なんでも検索できる 」と言ったりした。
私を世界で1番信じられるのは、世界中に私だけしかいない。
何も「 歴史に名を残す偉人ほどのでかい何か 」を信じる必要はない。何となく叶えたい目標が誰にでもあるはずだ。「 こうなったらいいな 」という未来を想像できるはずだ。「 想像して、信じたい何か 」があるはずなのだ。それを信じる、想像し続ける、信じ続ける。
- 私が、お金持ちになるのは、私なりのお金持ちになるのは、30年掛かった。
- 私が、ハーレーに乗りたいとおもって、ハーレーに乗るには20年掛かった。
- 私が、世界一周したいとおもって、世界一周するまでに10年掛かった。
私は、想像した、そして、信じた。
「 いつか、なれる 」と信じた。
「 いつか乗れる 」と信じた。
「 いつか行ける 」と信じた。
私は、私を信じた。
私は、私を信じ続けた。
信じるだけじゃない、信じ続けるための努力と試行錯誤、リスク、失敗を受け止めても、信じることをやめなかった。
私は、私を信じている。
自分を信じるためには、自信が必要だ。
自信は、いろんな経験をして自分を磨くことでしか身に付かない。失敗なしに自信は芽生えない。失敗した結果、成功するのだ、そして、成功が自信をもたらす。
でも、根拠なんてなくていい。
「 空を飛べる 」と言って人から笑われても、「 空を飛べる 」と信じた人しか空を飛べない。
私は、空を飛べるほどの壮大なことは、信じられないけれど、自分のことは信じられる。
私は、私の自由を獲得できる。
毎日、自分のやりたいことだけをやって生きていく自由を信じている。
私は、「 自由人になれる 」と信じている。
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