私は、好きなものがわからない

社会

私は、好きなものがわからない

2022/5/22

表現

世界には、しゃべれる人としゃべれない人がいる。
しゃべれないとは「 ろうあ 」という意味ではない。
言葉で、自分のこと、自分の感情や感覚を表現できないということだ。

私は私にできることが「 他者にもできる 」と疑わない。
その行為が、無意識であればあるほどに。

例えば、ご飯とおかずを、バランスよく食べて、片方だけが、残らないようにすること。
私にとって、当たり前のことも、できない人がいる。

例えば、アナログ時計をすぐに読めない人がいる。アナログ時計は、画像として認識して何時か把握するもので、考えてデジタル数字に変換するものではない。APPLEをりんごとして頭の中で訳してからりんごをイメージしない。APPLEはAPPLEのままイメージする。

私は、自分のことを言語化して、表現することに対して、疑問を持ったことがないから、自分の感情や感覚を表現できないことがわからない。言い合いになって、黙っていることが理解できない。討論しないと言い合いは解決しない。黙っているのは反則だ。なぜ、自分の主張をしないのかわからなかった。違うのだ、自分の感情や感覚を表現することは、ひとつの能力であって、できない人もいるのだ。

自分が無意識に自然にできていることほど、その能力を見過ごしてしまう。否、気付けない。

私は、自分の言葉で表現することで自分のことを知る。

自分が何を考えているかなんて、自分が話してみなきゃわからない。
会話しながら自分の思考に気付き自分の思考を前に進める。

  • 私は、インプットではなくアウトプットによって、私をつくっていく人間だ。
  • 私は、インプット ( 学習 ) が得意だと思っていたけど、私はアウトプット ( 教育 ) が得意なのだ。

知らない

私は、表現することで自分のことを知るから、自分のことに気づけない。自分の内面を表現して、言語化することには長けてるが「 自分の内面に何があるのか 」は表現しないとわからない。そして、その表現の中にある自分の内面について気付けない。

私は、私が1番好きなものに気付けない。

・ボブ
・瓜
・トンカツ
  • 私は人に指摘されてはじめて、私が好きなものに気付ける。
  • 私は人に指摘されるまでは、自分の本当の好きなものには気付けない。

本当に好きなものは意識していない無意識だからだ。無意識に好きだから気付けないのだ。人から冷静に分析されてはじめて気付くのだ。

私は、自分の好きなものさえ、わからない存在なのだ。

だから、失ったときに、はじめて、その感情に気づくのだ。モノはお金を出せば買える。モノを失うことは怖くない。

人だ。

人は、お金でどうこうできるものではない。だから、人を失ったときに「 本当に好きだったんだな 」「 すごく大切だったんだな 」と気付くんだ。だから、今、その人間関係が断絶したら、一番悲しい人が、好きで大切な人なのだ。好きな人は、家族・恋人だけじゃない。友人も、そうだ。

自分の心の声に、耳を傾ける。
自分の心の中に思い浮かんだ人が、多分、私の好きで大切な人なのだ。

人を嫌う論理
事前に何らかの情報があって、その情報を元に私が価値判断をしている。その「 価値判断という前提 」と 「 現実の事象 」が異なった時に、心の中で「 話が違うじゃないか 」となって嫌いになってしまう。

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