携帯を失くしても、見つかることはわかっている

湯浅

携帯を失くしても、見つかることはわかっている

2021/11/3

携帯紛失

携帯を失くした。

バスに乗って、寝落ちしたときに、手から離れたみたいだ。

寝ていたときに、一度、ガチャって音がしたから、目が覚めた。「自分が落としたかもしれない」と思って、軽く探した。見当たらないから、「他の誰かだろう」と思った。完全に寝ぼけてた。そして、また、寝てしまった。

バスを降りて、しばらくして、携帯がないことに気付く。バックを探すもない。そもそも、心当たりがある。ガチャって音して、起きたんだもん、あのときに違いない。

焦る。
携帯は困る。
財布落としてから、財布持つの止めて、財布の機能を携帯に集約した、携帯は落とさないだろうって。だから、携帯落としたら、もう、何もできない。
※でも、どうせ見つかると思っていた。

家まであと少しだ。携帯を探しに行くにも、その前に家に荷物を置きたい。しかし、時は一刻を争う。少し、悩んでいるうちに時間が過ぎてしまった。まず、携帯だ。

タクシーで、バスを追う。
心臓バクバクであり、今、考えると、カーチェイス的なノリだな。

バスがいたので、事情を話して、探させてもらう。

ない、ない、ない

親切なおばさんが「携帯にかけてくれる」と言うので、番号を伝えて掛けてもらうも、鳴りはするが、ここで音はしない。

ない、ない、ない。

このバスじゃない。
同じ路線のもっと先に走っているバスだ。
タクシーに戻って、さらに前のバスを追う。
※ でも、どうせ見つかると思っていた。

道中には、バスがいない、いない。ついには、そのまま、終点に着いた。タクシーから降りる。

たくさんのバスがある。とりあえず、近くのバスに駆け込んで、運転手に尋ねると、「あのバスだ」と言われる。

そのバスは、出発し始めたところだ。道路なんか、関係なく、全速力で追いかける。無我夢中、火事場の馬鹿力である、きっと、50m6秒そこそこであろう。道路の真ん中にも関わらず、ドアを叩いて運転手に、合図する。しかし、運転手にスルーされる。いやいや、こっちは、それどころじゃない。必死に動作でアピールする。運転手は、状況を察してくれたが、途中で、止まってくれることもなく、次のバス停まで、マラソンである。

携帯を失くした旨を伝えて、混んでいるバスの中を探し回る。

あった、あった、あった!!!

よかった、よかった。

11月の上旬なのに、汗ダクダクである。

「見つかるのは、わかっていた」けど、必死は、前提である。なりふり構わず、本気で、必死に探すことで、発見できる。

ハプニングと、その回収劇である。

ハラハラ、ドキドキしたけど、途中で「見つかるのは、わかっていた」。なぜならば、こんなことは、よくあることだ。

人生経験と未来

人生で、似たような経験は、よくある。

自分の人生を振り返って、自分がどんな体質の人間なのかは、よく理解している。
だから、「リカバリが効くハプニングなのかどうか」は何となくわかる。

例えば、「交通事故で死ぬ」とかいうような理不尽は、俺の身には起こることはない。絶対、リカバリが効かないハプニングは、起こらない。でも、離婚くらいのハプニングは、起こる。離婚はリカバリが効くらしい。

他にも、上げればキリがないが、自分に起こった出来事とその対処方法がわかっている。だから、携帯を失くしても見つかることはわかる。

もちろん、未来にどんなことが起こるかなんて知らない。でも、わかる、資本家になること、海外に移住すること、子どもがいること。想像して掴みにいかなきゃ、何も掴めない。初めは、掴めると信じることだ。掴める経験を通して、掴めることがわかるようになる。ただ、やり方は、暗中模索が必要だけど。

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