情報過多という弊害の中での日常

社会

情報過多という弊害の中での日常

2021/9/14

健康は大事だ。

だから、健康的な生活をした方がいいに決まっている。

酒は適量である。

呑みすぎないようにする。
できれば辞めた方がいい。
でも、辞めることによるストレスが、大きいのであれば、やっぱり、適量呑む。
そして、非日常で、呑み会とか、旅先で、好きなだけ呑む。
酒との付き合い方って大事だ。

健康には、食事だ。

身体は身体に入るモノで作られる。
身体は食事で作られる。
だから、食事は大事だ。ヴィーガンやベジタリアンが、痩せこけ、老けた顔をしていてるのは、栄養不足によるモノだ。

健康に良い食事を心がけようと思う。

そして、健康の本要約YouTubeで学ぶのだが、やり過ぎると、食べるモノがなくなる。食べ物が偏ってくる。適度と、やり過ぎの線引きは難しい。

情報過多は、判断を滞らせる。

酒も、食事も、情報も、適量がベストだ。情報を得ることによって、知識が付く。

知識によって、行動が拡張するし、制限もされる。

だから、健康の情報を得ることを辞めた。健康を望むけれど、敢えて、情報収集しないことに舵を切った。

情報の取捨選択である。
過多の情報はもういいのだ。

私たちは、情報過多である。余りにも多くの情報に触れ過ぎている。だから、頭が混乱している。情報を処理できなくなっている。

日常的にパンクしている状態である。

パンパンにデータが入っている、パソコンの動きが鈍いように。いろんなソフトを立ち上げて、いろんな処理をしているパソコンが、固まるように。

そこで、パンパンに入ったデータを消して、パソコンを軽くするように、情報を取捨選択しなければならない。今、必要なソフトだけで処理するように、今、本当に重要なことだけに集中する。

情報の取捨選択と集中が、未来への切符

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