「 クオリアと人工意識 」からの思考
2022/1/30

【本要約】クオリアと人工意識
「自由意志」は、脳が作り上げた壮大な「幻想」である。人間の行動は、物理的な脳が存在して、物理法則に従うしかないのに「自分で自由に選択できる」と意識の中で感じ、思い込んでいる。
「 いきいき 」とは?
・私たちは、死んでいる魚を「 いきいき 」とは感じない。
・私たちは、眠っている赤ちゃんを「 いきいき 」と眠っているねとは言わない。
・私たちは、外で走り回っている子どもを見て「 いきいき 」と遊んでいると感じる。
・私たちは、死んでいる魚を「 いきいき 」とは感じない。
・私たちは、眠っている赤ちゃんを「 いきいき 」と眠っているねとは言わない。
・私たちは、外で走り回っている子どもを見て「 いきいき 」と遊んでいると感じる。
生き物が覚醒しているときに、私たちは「 いきいき 」とした感覚を得る。
生き物以外には「 いきいき 」とした感覚を味わうことはないのか?
例えば
・歩きながらシンバルを鳴らすオモチャ
・左右に動き回る車のラジコン
・熱を発しファンが周り空気を吐き出しカリカリと音がする昔のデスクトップパソコン
・歩きながらシンバルを鳴らすオモチャ
・左右に動き回る車のラジコン
・熱を発しファンが周り空気を吐き出しカリカリと音がする昔のデスクトップパソコン
私たちは、無機物に対して「 いきいき 」とした感覚を得る。
無機物なので、もちろん、生命体ではない。その非生命体に対して「 いきいき 」とした生命性を感じるのはなぜか?
「 私たちの五感を刺激するかどうか 」であろう。
視覚、聴覚をはじめとして、無機物が動くことによって摩擦が起き何らかの匂いを発することで嗅覚が刺激され、「 動いているモノに触れたい 」という本能によって、触覚が刺激される。
私たちは、無機物に「 いきいき 」とした生命性を感じる。
小さい女の子であれば、ぬいぐるみに、生命性を感じることもあるかもしれない。
個人の捉え方次第である。
無機物に対して、生命性を感じることもあり、その無機物に、生命性に、愛情を持つこともあるかもしれない。
例えば、人間そっくりの人工知能が現れたとしたら、その人間に愛情を抱く人がいても不思議ではない。私たちが「 それは、人間じゃないよ、ロボットだよ 」と、その人に伝えても、信じないかもしれないし、「 ロボットだとしてもいい 」と言うかもしれないし、「 私にとっては人間と同じだ 」と言うかもしれない。
私たちは、人間にだけに、生命体だけに、愛情を持つわけでなく「 いきいき 」としたものに愛情を持つこともある。
だから、それがロボットであったとしても、その本質は人工知能だとしても、人工知能という人工生命だとしても、擬似的な生命体だとしても、非生命体だとしても、そこに「 いきいき 」とした感覚があれば、愛情が創発される。
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