体験 〜 おもしろさと楽しさと人生と

2021/11/6
Youtube
YouTubeは、おもしろい、興味のあるコンテンツだらけだ。
1億総発信者の時代には、自分に刺さる、自分の興味ど真ん中のコンテンツは、増えるばかりだ。総視聴時間には、限界があるが、総フォロワー数は、限界がない。私たちの時間には制限があるが、私たちの興味があるコンテンツは尽きない。そして、最新のAIを使って、さらに興味をそそるコンテンツをオススメしていくことで、私たちは、フォローしてしまう。知らぬうちに、YouTubeに、限界までの時間を吸い取られている。
iPhoneでスクリーンタイムを設定してみて見れば、自分がどれだけの時間をYouTubeを見て過ごしているかに気付かされる。
確かに、YouTubeは、おもしろいけど、1年後にそのことを覚えているだろうか?
例えば、YouTubeを丸一日、見ていて過ごす一日と、何処かに出かけた日を比較すると、その日のことを記憶しているのは、出かけた日である。「記憶が残る日が、いい日だ」と言い切ることは、確かにできない。
でも、YouTubeを見て一日を過ごして、夜になって、
「今日は充実して、いい一日だったなー」って思う?
「出かけた日よりいい1日だったなー」って思う?
結局は、「おもしろかったなー」っていう視覚と聴覚だけの感覚よりも、「楽しかったなー」っていう五感 ( 視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚 ) の全部を使った体験の方が、全身で遊んだ方が、思い出になる。
テレビでも、Netflixでも、Twitterでも、インスタでも、他の何かのSNSでも、視覚と聴覚の二次元の世界は、同じだ。
体験
生命の時間を切り売りして、生命を思い出に変えて生きている。
私たちは、裸で生まれて、裸で死んでいく。
- 私たちは、この世界で手に入れたモノは、何ひとつ持って違う世界へと旅立てない。
そう、たったひとつの形がなく見えない思い出以外にはない。 - モノはもちろん、お金も地位も権力も名誉も持っていくことはできない。
思い出という個人個人に特有の何かである。
何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいくのが、生き物の定めである。
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