風呂を貯めておきたいという概念
2021/8/12
- 温泉に入って帰ってきても、家に着いたら、また、風呂に入らなければならない。
1日に、何度、風呂に入るんだとなる。 - だから、風呂を貯めておけばいいなと思う。(溜めるではなく、貯蓄の方の貯めるだ)
朝から温泉に2回入ったら、それを貯めといて、夜に1回使うというように。
毎日のことも、習慣化によって、そのハードルは、下がる。歯磨きは無意識にしている人がほとんどだろう。歯磨きめんどくさいとは考えない。風呂は無意識にするにはハードルが高い。
そもそも、風呂・歯磨きをする理由は何だろうか?
健康のため ( 清潔にすることで病気を防ぐため )
自分のため ( 自分が清潔でいたいから )
他人のため ( 自分が不潔で他人に迷惑をかけないため )
自分のため ( 自分が清潔でいたいから )
他人のため ( 自分が不潔で他人に迷惑をかけないため )
1日くらいサボったとしても、健康や自分に害はないが、他人に対して害があるかもしれない。私たちは、社会の中で、生きている。だから、常に、誰か、他人のことを考えて生きなければならない。
だから、私たちは、今日も、歯を磨いて、風呂に入る。それが面倒でも。
やっぱり、風呂を貯めておけたらいいな。温泉やスーパー銭湯や銭湯ならば、風呂に何度も入ることに抵抗はない。そんな機会に、何度も風呂に入って、風呂を貯めておく。そして、日常生活で、めんどくさいとき、忙しいときなんかに、貯めといた風呂を使って、風呂に入った状態になる。
それが現実的に可能か不可能かではなく。あったらいいなという便利なことを想像する。想像しないことには、創造できない。
コンピュータの父、アランケイは、1972年に今のiPadを想像している。コンピュータのひとつの完成形を想像している。
狩猟採集時代の人類は、飢えない生活を想像することで、食糧を備蓄できる農耕時代を創造した。
創造の原点は、想像である。
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