日本人の文化と価値観

知識

日本人の文化と価値観

2022/1/28

・拳銃は、人に向かって撃つことで、殺すことができる。射殺である。
・包丁は、人を刺すことで、殺すことができる。刺殺である。
直接的な道具を用いて、武器で、人を殺すことができる。

お金は、人を殺すことはできないか?

拳銃のように、直接的に人を殺すことはできない。だが、間接的ならばどうか?「 お金を渡すことで、殺人を請け負ってくれる人がいるだろう 」と想像できる。実際にその事実の有無を確かめなくとも、そんな世界があることを理解できる。
お金を渡した誰かが人を殺すので、間接的な殺人だ。

インターネットは、人を殺すことはできないか?

武器や、お金で雇う殺人者のようには、単純ではない。仮面を被った不特定多数が、ある一人を集中的に攻撃することによって、自殺に追い込むことができる。不特定多数が、対象者を、言葉を叩きつけて、精神的に追い込むことで、対象者は、精神的異常をきたし、自ら、命を絶つ。
言葉の暴力による自殺は、間接的な殺人だ。

知識は、人を殺すことはできないか?

知識だけでは、人を殺すことはできない。知識を元に何らかの行動を起こすことによって、人を殺すことが、可能になる。
知識を一度、お金に換算する。お金があれば、拳銃を買ったり、殺人者を雇ったりできる。知識から殺人までのステップがあるので、簡単にはいかない。

私たちは、人を殺してはいけないことを本能としてDNAに刻んでいる。
人を殺してはいけないことを道徳として持っている。
人を殺してはいけないことを法律として知っている。

私たちは、人を殺さない。

しかし、身の回りは、人を殺すための武器だらけである。

拳銃や包丁だけが、殺人の武器ではない。

お金も、インターネットも、人を殺す武器となるのだ。

日本人は、子どもに対して、お金やインターネットを安易に与える。

欧米では、お金やインターネットという武器の威力を理解しているので、子どもへ与えない。与えたとしても、制限する。お金は与えず、オモチャや本を与える。人間を虜にするための叡智が詰まったデバイスは、利用を制限する。悪影響があるのを重々承知している。スマホ中毒な自分を理解している。

【本要約】僕らはそれに抵抗できない
依存症になる人は「もともと、依存症になりやすい体質を持っている」という常識があった。しかし、実験によって、依存症は、環境によるモノだということが証明された。現代人は、スマホというテクノロジー依存症である。

欧米ではお金の授業がある。お金を卑しいモノとして扱わず、国語や体育と同じ、教養として学ぶ。将来、誰しも、お金の知識が、必要になる。現代社会では、お金なしに生活していくことはできない。

日本人は、小さな頃から親しんできたお金の使い方は知っている。しかし、それを稼ぐ方法や、増やす方法は知らない。学校にお金の授業はない。そして、親も同じなので、子どもにお金の教育ができない。

拳銃は禁止し、包丁の扱いには、注意するのに。お金やインターネット、そしてお金の知識に対しては、無頓着なままだ。それが、日本社会であり、日本文化である。

私は、私の子どもに、お金の知識を含む、大人になったときに役立つ知恵を授けたい。そのためには、自分が学ばなければならない。

私は「 自分が子どもの頃に会いたかった教養のある大人になろう 」としている。

親が子どもに与えるのは、お金でも、スマホでもない、知識である、知識の詰まった本である。

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