現代日本の奴隷制度

社会

現代日本の奴隷制度

2022/5/18

「 マスクをとって素顔を出すのが、食事のときにマスクをとるのが、恥ずかしい 」というニュースを耳にした。

マスクが日常化した社会では「 マスクを取った姿か恥ずかしい 」という新しい価値観を産み出した。

これまで、何ともなかったことに対して、社会が圧力をかけることで、その力は、様々な方向へと分散される。その力が元になって、強制力を生み出し、新しい現象の発生源となる。

顔を覆うことが強制された社会では、顔を出すことが非日常となり、非日常は違和感であり、違和感は社会的感情へと変化した。

その社会的感情を「 恥ずかしい 」と表現した。

私たちは、この現象を、体験済みだ。

下着は秘部を隠すのが目的だから、下着は本来、見られてもいい服であったはずだ。下着は服の一部だった。いつのまにか、下着を見られることは「 恥ずかしい 」という感情へと変化した。

  • 「 下着の目的である秘部隠す 」という「 下着機能性 」以外デザインや形や透けるといった機能を付加させること
  • 下着は好きな異性以外見せないこと

下着という物質自体の変化や、用途が限定されるにつれ「 恥ずかしい 」と感情を生むようになった。

水着を考えるとわかりやすい、水着を見られることは「 恥ずかしい 」という人は少ない。水着も、下着も「 秘部を隠している 」という機能は変わらない。体を覆っている部分も変わらない。でも、下着は恥ずかしいし、水着は恥ずかしくない。だから、隠してる部分の問題ではない。

また「 下着を身に付けている姿を見られる 」ことに恥ずかしさを感じるのであって「 下着自体を見られる 」ことは恥ずかしくないという人もいる。下着自体よりも、下着を身に付けた私を、見られる方が恥ずかしい。

「 恥ずかしい 」という感情は、物質自体や本質的機能にあるのではなく、用途によって生まれる社会的感情である。

「 素顔をさらすのが恥ずかしい 」と価値観が持続することで、文化となる。

世界がマスクを脱ぎはじめても、日本はマスクを脱がないんだろう。マスクをしていない場合には、ネガティブに捉えられる可能性がある、ここで、科学的事実は関係ない。マスクをしている分には、ネガティブに捉えられることはない。ならば、現状維持で、マスクを着け続けるんだろう。メディアが、マスクをしなくても大丈夫キャンペーンを報道しない限りは。

  1. マスクは日本の文化として定着するかは、メディア次第である。
  2. 日本社会は、科学的事実ではなく、メディアに支配された世界である。
  3. 日本人は、メディアに隷属する、奴隷なのだ。

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