【本要約】ユダヤの商法
2021/4/6
ユダヤ商法
宇宙の大法則
78:22 ( ±1の誤差を含む )
大自然の、不変真理の大法則である。
金を貸したい人:金を借りたい人 = 78:22
金儲けの法則も 78:22 である。
22 の金持ちが 78 の金を持っているから、22 の金持ちを相手に商売をする。
ダイヤモンドは、豪華品ではなく、ちょっとした贅沢品、庶民でも手の届く高級品という見方が、成功のもとである。ちょっとした金持ちなら必ず欲しがって、しかも、現実に手が出るもの、その商品が、ダイヤモンドである。
日本より全然美味しくない寿司が、日本で500円もしない寿司が、イタリアで2,000円で売っている。
商品
ユダヤ商法の商品は、女と口の2つしかない。
商売というものは、他人の金を巻き上げることである。
儲けようと思ったら、女を攻撃し、女の持っている金を奪え。女性用品は、儲かるが、商品の選択からセールスまでの商才が必要だ。一方で、口は、誰にでもできる商売だ。
口に入ったモノは、消化され、排出される。口へ入れられた商品は、消化スピードが早い。売られた商品がその日のうちに消費され、廃棄される。そんな商品は他に存在しない。
例えば、iPhoneの消化サイクルは、1年である。1年後に、どこが、アップグレードしたのかよくわからない、もう、既に、使いこなせない部分の進化を遂げたiPhoneが発売される。1年前に買ったまだ使えるiPhoneを持ちながらも、新しいiPhoneに変える人もいる。それは、Appleが、iPhoneの消化サイクルを1年と定めたからである。
消化サイクルを自分で決める企業は強い。
女という第1商品を扱う商才を持つのが、ユダヤ人である。口という第2商品を扱う華僑は、ユダヤ人に次ぐ商才を持っている。
藤田田さんが、売ったのは、ハンバーガーという商品ではない。
欧米人への憧憬である。ハンバーガーを食べることで、欧米人になりきった姿を演出した。
商品は、よく考えないと、その本質は見えない。「自分が扱う商品の本質は何か」を深く思考する必要がある。
商品2
ユダヤ商法で、ボロ儲けするなら、商品は、通貨である。
何かを狙った場合、まず、買うのは、素人である。玄人は、まず、売る。売ってから儲ける。商売は売りと買いがあって、はじめて成立する。そして、買いより、売りの方が、はるかに利幅が大きい。商売には売りがあって、次に買いが行われて、はじめて商行為が終了し、利益が出される。
変化
人の細胞は、刻々と変化し、日々、新しくなっている。人は変わる。人が変われば、社会も変わる。
ユダヤ5000年の歴史から、導き出されたルールは、公理である。公理は証明不要である。
- 世界は、変化していく。
- 人も、変化していく。
- 社会も、変化していく。
そんな中で、唯一、不変の真理がある。ユダヤ5000年の歴史の中で、不変のルールである。
価値評価は、現在の現金である、時価である。人も社会も自然も、毎日毎日変わっていくというのが、ユダヤの信念である。現金こそが普遍の真理である。
相続税は、3代相続すれば、0になるのが、世界中の税法の原則である。しかし、現金なら、相続税は、かからない。
契約
ユダヤ商法では、契約は絶対だから、重要なことは、必ずメモを取る。そして、契約を絶対に守る。ユダヤ人にとっての契約とは、神との約束である。
人は、100点満点中60点取れば合格である。契約に関しては、100%を求める。しかし、人のミスに関しては、「人は間違えもする」と考えているから、60点で合格である。
日本人は、契約を交わした後も、相手を信用しないが、ユダヤ人は契約を交わした後は、相手を全面的に信用する。
「契約が神との約束であり、絶対だ」という思想で生きているユダヤ人と、阿吽の呼吸で、ことなかれ主義で、生きている日本人の商習慣が違うのは当然である。
数字
数字に慣れ、数字に強くなることが、ユダヤ商法の基礎で、金儲けの基本である。金儲けがしたいなら、日常生活の中に数字を持ち込んで、数字に慣れ親しむことが大切である。
商売においては、数字が全てであるから、個人的な感情は、ソロバンにのせてはいけない。
商売で、肝心なことは、「判断が的確かつ迅速である」ということである。暗算によって、商売の粗利を即座に算出できる。
商売のタイミングこそ生命といえる。タイミングの取り方次第で、大儲けもできるし、大損もしかねない。儲け話しを見逃しても、損しないように、リスクをヘッジしなければならない。世間の動向に流されず、自分が得た情報によって、的確に判断する。数字は決して嘘を付かないから、数字で判断する。どんなに儲かる話があっても、数字で判断した自分の信条を曲げてはならない。
合理性
ユダヤ人が、「商売に資金を投入しようと決めた」とすると、1ヶ月後、2ヶ月後、3ヶ月後の青写真を準備する。3ヶ月後に、青写真通りでなく、「将来的に好転する」という見通しがない限り、あっさりと手を引く。合理的な行動をする。
日本人は、「辛抱強く努力を続けることが、成功のための最大の要因である」と思い込んでいるが、見切り千両を忘れてはならない。
ユダヤ式会社観は、自分の会社を高く売り飛ばすことであり、会社とは、愛の対象ではなく利益を出す道具である。感情に左右されない合理性がある。
ユダヤ商人は、金儲け、節税のためなら、国籍すら、売ってしまう。自分のアイデンティティや感情は関係ない。金に対して、フラットで合理的である。
ユダヤ人の価値観の基準は、金である。「清貧が、素晴らしい」という価値観など存在しない。清貧は、ただの貧乏だから、軽蔑される。
迫害され続けてきたユダヤ人は、税金は国家との契約で、「税金を払うことでその国の国籍を与えられている」と考えている。
ユダヤ人は、長年の放浪と迫害の歴史から、他民族への警戒心や、自己防衛本能がある。他人種や多民族の生活や心理や歴史に関しては、強い興味を示す。そして、自分が納得するまで質問し続ける。中途半端に納得しない。商売においても納得してから取引する。ユダヤ商法の鉄則である。
合法で、ユダヤ教のルールを守る限りは、金儲けのためには、どんな手段を用いても、正当な商売である。
感情と金儲け
ユダヤ人は、差別してくる輩に金を貸し、金銭で実質的には征服する。差別されながらも、そのことを気にせず、金儲けは別として、商売をする。
・経済学では、「人は合理的に行動できる」とされている。
・行動経済学で、「人は合理的に行動できない」とされている。
人は感情を持つ生き物だから、その感情をないモノにして、完全に合理的に生きるのは、困難である。しかし、その感情と、経済を、完全に切り離した民族が、ユダヤ人である。感情に流されず、経済のことだけに集中できるから、数多の優秀な人物を輩出した。
金儲けと、感情は、切り離さなけばならないが、不当な不利益を被った場合は、その限りでない。むしろ、その不当な行為に対して、正当な手段で、対応しなければならない。そうしなければ、不当な不利益は、繰り返される可能性がある。
金儲け
本業と、サイドビジネス、その掛け合わせによって、金儲けができる。
暇のない人は、金儲けはできない。商人は金を作ろうと思ったら、まず、暇を作らなくてはならない。
法律は、人が作るモノだ。ユダヤ式でいえば、60点スレスレで合格した不完全な法律ばかりである。「法律の欠陥や法律の隙間には、キャッシュがぎっしり詰まっている」と思え。
頭さえ使えば、金の儲かることはゴロゴロある。儲かるタネはいくらでもある。ザクザクある。それなのに、金儲けのできないヤツは、アホで低能で、救い難いヤツである。
金儲けの下手な人は、一生、金に縁がない。金儲けが上手な人は、金儲けのことを考えているから、金が儲かる。金儲けの上手な人は、金の方が斜めになって入ってくる。
女を口説くにも、金を口説くにも、語学に堪能でなければならない。女と金は同じである。女をモノにする要領で、金をこちらが追いかけるのではなく、金を呼び込む。その呼吸が飲み込めたら、必然的に儲かる。
金儲けには、個人の思想や感情は、不要で、無関係である。商人は利益を上げればいい、そのために利用できるモノは何でも利用する。
商売
商売の鉄則
商売をする上では、第一印象を大切にしなければならない。
週5日働いて儲からない商売は、やめた方がいい。
競争
競争のないところに繁栄はない。同業他社と競争して、切磋琢磨することで、技術が磨かれ、成長していく。
商品
自分が好きな道で商売をはじめると、その商売は、うまくいかない。それは、好きなものに溺れてしまうからだ。本当の商人は、嫌いな商品を売る。自分の嫌いな商品だと、「どうやれば売れるか」を真剣に考える。商品として、冷静に眺められる。
世の中は勝てば官軍である、商売だって勝てば官軍である。
消費者の教育
ユダヤ商法は、商品を高く売ることについて、あらゆる資料を用いて、高く売ることがいかに正当であることを説明する。その資料で、消費者を教育する。消費者に、売るのではなく、消費者に、納得して買わせるのである。
・商品の特徴を伝え、商品を知ってもらう(需要の創出)。人は知らないモノは、欲しがれない。
・商品が必要だと理解してもらう(納得)。
・商品を欲しいと思ってもらう(需要)。
・商品を買ってもらう(購買)
厚利多売
未来
世の中は、常に先手先手を打たなければならない。最先端に触れることで、今の世界中の人々の心理状態を考える。先見の明は、既成概念に捉われ過ぎている人には、絶対に備わっていない。脳みその中は、常に柔らかくしておくことだ。
ユダヤ商法の裏側
ユダヤ人の人生の目的
人生の目的は、金を儲けることではない。
人生の目的は、美味しいものを心ゆくまで食べることである。
人は食べるために働く、働くためのエネルギー補給に食べるのではない。
食事に興味ない人も存在する。「食事の時間がもったいないから、仙豆があればいいのに」と、思う人もいる。そんな人からすれば、美味しいモノを食べるのが、人生の目的と言われても、、となる。
宗教とは、価値観であるから、盲目的に信仰するのは、生きやすい。しかし、価値観は、自分の人生そのものである。本来であれば、そこに、他人の思考が、入る余地はない。
何かの知識を得たときに、その権威に推され、盲目的に信じてはいけない。自分の頭で、その情報の信憑性と、その情報の自分にとっての必要可否を思考しなければならない。
ユダヤ商法の商売の思考法は必要であるが、宗教的価値観は不要である。
一方で、その宗教共通の価値観を知ることで、その宗教を信仰している人の価値観を知ることができる。
ユダヤ人は、食事の時間を大切にしている。その時間は、何人足りも、邪魔してはならない。そして、ユダヤ人と食事をするということは、その大切な時間を共有するということだから、ユダヤ人に認められたということだ。
そちら側から見れば、無宗教の日本人が、曖昧な阿吽の呼吸という謎の文化を持つ不気味な民族に見えても、不思議ではない。
ユダヤ人は、人生の目的である食事の時に、戦争・宗教・仕事の話しはしない。食事がつまらないモノになってしまうからだ。
なるほど、だから、呑み会離れが進んでいるのか。全然、気付かなかった。
呑み会で、仕事以外の話しをして、お互いの理解を深める方が、なるほど、意味がある。仕事の話しは、明日、仕事場ですればいい。
俺は、間違っていた。間違っていたから、コレからの人生では、改めたい。仕事終わりに呑みに行くときに、仕事の話しはしない。仕事の話しは、仕事中のみだ。呑みの席を仕事にしてはいけない。
ユダヤ人の教育方法
父親と言えども、盲信してはいけない。あくまで信じられるのは自分だけである。
また、子どもが、一人前と認められれば、父親と同じ人権が得られる。子どもは、父親をパパと呼ばない、名前で呼び捨てにする。「父親が偉い」という価値観は、ユダヤ人には、存在しない。一人前になったら、父親も子どもも同権だ。だから、お互いを呼び捨てで呼び合う。
ユダヤ人の子どもの小遣いは、年齢給ではない。年齢が上がるほど、小遣いが上がっていくわけではない。家事の手伝いの内容によって、額が決まっている。何歳の子どもであろうと、同一労働、同一賃金である。完全な能力給であり、歩合給である。
ユダヤの力
第二次世界大戦中のドイツによる、ユダヤ人狩りの指導者の一人が、アルゼンチンに逃げ込んだ。その確証を得たイスラエル警察は、アルゼンチンに乗り込んで、その指導者をイスラエルに連れて帰り、死刑にした。
そんなことは、本来なら、許されるはずはない。アルゼンチンという国家の主権がイスラエルによって侵されているのだ。しかし、世界中のメディアが、国家の主権が侵されたと非難することはなかった。
「メディアさえ黙らせてしまえば、国家の主権を侵すことなど容易い」と考えているし、それを実行する力を持っている。
通らない理論を通す力を持っているのが、ユダヤ人である。
大切なこと
時間
時は金なり、時間も商品であるから、1分1秒でも、他人の時間を盗んではならない。
健康
健康こそ、最大の資本である。働くばかりでは、健康を損ね、人生の幸福を味わえない。働いたら必ず休むことを、忘れてはならない。一方で、病気は、気の病だから、気のせいである。藤田田さんは、藤田商店創立以来無休である。
生き甲斐
人は、楽しむために働くのだ。快楽こそ、至上の生き甲斐である。
ユダヤ人の上
上には上がいる。ユダヤ人こそ、最上の民族だと思っていたが、そのユダヤ人を使って、生活している人がいる。
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