アナザーワールドという知

湯浅

アナザーワールドという知

2022/5/31

私はいろんな人生を選択できる。
私はいつだって、いろんな選択肢が可能だ。
私は選択肢の海に溺れている。
選択肢があり過ぎて、何を選べばいいか、迷子になっている。

今、目の前に2つの選択肢が用意された。右か左か、どちらの選択をするかは、私の自由だ。どちらでもいい。そして、選択しないということもできる。選択肢が右と左とあるからといってどちらかを選ばなくてはいけないわけじゃない。

別に選ばなくても人生は進む。

選ぶと選んだなりの結果が待つ、問題に対しては解答が生まれる。その問題や解答を放棄する行為が「 選択しない 」という生き方だ。

私が「 右を選択するか 」「 左を選択するか 」「 選択しないか 」によって、私の人生に少なからず影響がある。

  • せっかく選択肢が現れたのだから、選択しよう、どちらかを選ぼう。
  • 選ばない人生より、選んだ人生の方が、きっと楽しい。
  • 平坦な人生よりは、山あり谷ありの人生の方が、冒険として相応しい。

右と左を選択するさいの基準は、何だろうか?

そう、決めたんだ。
より、リスクのある方へ。
リスクのある方が、目の前の谷にダイブする方が、山を登った時の景色は、美しい。

それは、自分が傷付いたり、悲しんだり、そして、誰かを傷付けたり、悲しませたりするかもしれない。それは、結果であって、想像でしかない。私が、自分の人生を創造するのだ。楽しんだり、笑ったり、そして、楽しませたり、笑わせたりするのも、すべて、私の腕力次第である。

私は、リスクのある方の右側を選択したら、左側は、現実には起こらない、もうひとつの世界アナザーワールドである。私は、一つの選択しかできない、一方の世界しか体験できない。2つの選択を試して、結果を評価することはできない。それでも、私は、選んで、もう一方の世界をアナザーワールドにするしかない。

私はどちらかを選ぶかは、自由だけれど、アナザーワールドを体験できないという意味では、不自由だ。これも、また一つの自由の刑である。
私のスタートライン
人生は長いようで短い。あっという間に過ぎてしまう。人生は、死というゴールに向かって進むのではなく、未来の目的に向かって進むものだ。

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