君にとっての洋服、私にとっての知識
2022/3/11
洋服を買いに行く、友人と予定を合わせ、休みの日に早起きして、待ち合わせして行く。
「 大変だな 」と思う。
- 私は、洋服に興味がない。
できれば、毎日、季節にあった清潔感がある服を出しておいて、何も考えずに着たい。
洋服という物質に対して、一秒の時間も、一秒の思考も使いたくない。
洋服だけでなく、髪や髭も、そして、爪も同様に一秒の時間も、一秒の思考も使いたくない。
清潔感があるのならば、髪や髭も、そして、爪もいらない。
世間が許すならば、暑くも寒くもなければ、服もいらない。
- 私は、自分の見た目には、興味がない。
自分の見た目は、他人のために必要なだけだ。
社会で生きるためには、服が必要なだけだ。
他人に不快な思いをさせないために、清潔な服を着て、髪や髭や爪を整える必要がある。
- 私は、自分の思考に興味がある。
自分の思考を高めるために、知識が必要である。
だから、知識をまとう。知識は見えない。社会では、服をまとうしかない。
私の知識や思考は、外からは見えない。私の内面は見えない。
他人の目は気にならない。自分の目は気になる。
だから、私は、昨日より少しでも、知識をつけ、思考を高めなければならない。
そう、君が洋服を買いに行くように、私も本を買って知識をつけなければならない。
君が服を楽しむように、私も知識を楽しむ。
この世界にはたくさんの服があるように、この世界は、学ばなければならないことだらけだ。
君が服をまとって、他人の目に着飾るように、私は知識をまとって、自分の目に正直でいる。
他人の目は誤魔化せても、自分の目は誤魔化せない。
君にとっての服は、私にとっての知識である。
君が外面を気にした服をまとい、かわいさを武器に、社会生活を営むように、私は、内面に要した知識をまとい、思考を武器に、社会と対峙する。
コメント