「天才」と「私」と「馬鹿」というラベル付けの真意

「問題解決力を鍛える」からの思考

2021/8/3

例えば、どうしても敵わない相手に対峙したとき、相手を「天才」というように、ラベル付けする。

相手を「天才」として、自分とは次元が違う存在として相手を認知する。

それは、江戸時代の士農工商という身分制度のように、自分とは住んでる世界が違う人間として扱う。そうすることで、身分間での差別意識は消失する。

逆も然りである、相手のことを「馬鹿」とラベル付けすることで、自分と次元が違う存在として認知する。

次元が違うことで、相手のことは理解する対象ではなくなる。

私たちは、自分が、かなわないような人を自分と同じ次元に置きたくない。同じ次元に置いてしまうと、自分とその人とのギャップは「自分の努力が足らないせいだ」と認めることになる。「自分に問題がある」としたくないから、「天才」という別の次元のラベル付けをして、事なきを得る。

では、逆に、「馬鹿」とラベル付けすることは、どうか?それは、相手を自分と違う次元にラベル付けすることで「相手を理解する」という行動を放棄しているのだ。自分と相手を違う次元に置いてしまえば、相手を理解する必要はない。同じ次元であれば、理解できる相手になってしまうので、理解する必要がある。相手のことを理解するのは面倒くさい。

脳は、初期設定が省エネなので、面倒なことを考えたくない。
だから、思考の拒否のために、相手を別次元に置く。

「天才」ということで、自分の努力不足をごまかし、「馬鹿」ということで相手の理解を放棄する。それが私たちだ。そうやって自己防衛するのが、人間の本能だ。

【本要約】問題発見力を鍛える
問題を解決していくには、問題を適切な形で " 発見 " して " 定義 " する必要がある。問題とは、身の回りの事象や私たちの頭の中に生じている歪みであり、ギャップであり、それを変数で記述することである。

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