労働を再考する ~ 時間 = 命という思考の中での労働の価値
2020/9/6 , 9/7
目覚ましはじめました ~ 最適化
仕事を辞めて1年半
バス、電車、飛行機で、24時間の時間帯問わず、移動の日々で、深夜、早朝、乗り物の出発時間に合わせて、起きなければならないから、目覚ましは必須だ。
目覚ましは必要ない。朝決まった時間に起きる必要がないからだ。好きな時に寝て、好きな時に、起きればいい。
- ブログをはじめて、くだらない日常のアウトプットではなく、質の高い有益なアウトプットを出すように心がけていること
- 知的好奇心の欲求の高まり
1.2.の相乗効果で、ダラダラしている時間が、ムダに感じはじめる。
夜ご飯を食べた後、ダラダラと酒を呑んでいる時間は、何のアウトプットも生み出さない。
くだらないので、止めた。
夜ご飯を食べた後、カフェに行って、作業することにした。
夜カフェによって、夜に家で、酒を大量に呑むことがなくなり、睡眠の質が良くなった。
また、カーテン開けて寝る効果により、朝早く目が覚めるようになった。
目が覚めたら、カフェに行って作業する。
そうすると、目が覚める時間によって、作業時間が、まばらになってしまって、アウトプット量が一定しない
なんだかイケてない。
目覚ましで起きよう。
目覚ましで起きたら、午前中のカフェでの作業時間が均一化する。
目覚ましはじめました。
短時間の昼寝の効果がいいようなので、夜の睡眠と合わせて、睡眠時間の最適化中。
最小の睡眠時間で、パフォーマンスを衰えさせることなく、活動時間を最大化しする最適化。
時間 = 命
最近は、毎日、午前中と、夜に、マックで作業しているのだが、マクドナルドで作業しているのだが、たまに、ボーと店内を眺めていて思う。
マックで働いている人って、楽しいから働いているのかな?
マックに配達の品を取りに来るUberEatsの人って、好きで働いているのかな?
「楽しいから働いている」
「好きで働いている」
って言うなら、素晴らしい、拍手だ。
そもそも、自分の仕事が楽しくて働いている人って、どのくらいいるんだろう?
特に、日本は少ない気がする。楽しくも、好きでもない仕事を、お金のために、自分の時間を切り売りして働いているのがほとんどだろう。
ここ数カ月で、本当に、たくさんの知識を得てきた結果、湯浅の結論は、
命は、いずれ尽きる。
それまでの時間が、人生だ。
人生において、時間を切り売りすることは、即ち、命を削っていることになる。
自分の貴重な命を削って、お金に換えるということが、好きでも楽しくもない仕事をするということだ。
ここから見える、働いている人
時間を切り売りして、働いているのなら、なんだか、かわいそうだな。
そして、その仕事は、もう間もなく、AIに取って代わられる現実
コンピュータに取って代わられるものに、命という時間を使う。
無機物に対する命の消費である。
それが、楽しいのなら浪費で、人生に有意義な時間、命の使い方ではある。
しかし、それが楽しくないのなら、人生の時間、命の消費である。
働くということの難易度は増すばかり。
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