想像で笑う世界観
2022/6/6
想像で笑う
人に指摘されて初めて気付くことである。
今までの人生で考えたことすらない。
未来を想像して、その起こっていない未来をリアルに想像することで、おもしろいと感じて笑うことができる。
想像的笑い例
【 過去の話 】
私が、何かしらの行動をしたときに、友人の顔を思い浮かべて、それがリアルに想像できるから、笑うことができる。
【 今日の話 】
コスプレをして「 停止したまま動かない 」というパフォーマンスをしている人が、何人かいるのを見かけた。そして、そのパフォーマンスを写真に撮ってる人もいた。
私は想像した。
この中に、何のコスプレもしていない私というおじさんが、同じように停止していたら、どうなるのか?
きっと、私のことも「 パフォーマンスだ 」と思って、写真を撮る人も出てくるに違いないと想像した。私は、パフォーマンスに全く関係ないおじさんなのに、よくわからず、私の写真を撮っている人を想像した。私は、ただのおじさんなのに、私を撮っている人を想像した。
私は、笑った。
私を撮っている人を想像して、笑った。
- 全然関係ない私を、一生懸命撮っている人を、想像して、笑った。
- 勘違いして私を撮っている人と、撮られている私がリアルに想像できて笑った。
- 私は「 この人勘違いして撮ってるなー 」と思っているし、撮ってる人も「 この人コスプレしてないけど何なんだろうなー 」と思っていることを想像した。
そのよくわからない2人の関係を、想像して笑った。 - その人が、後で、振り返って、私の写真を見て、不思議に思う ( 当たり前だ、ただのおじさんなのだから ) ことを想像して笑った。
ー
他の人は「 現実に目の前で起こったことに対して笑うことしかできない 」ということなのか?
逆に「 何で笑えるのか?」と聞かれてもわからない。
現実の出来事として捉えることができるから
笑えるというか
現実に起こってないからこそ、ずっと笑える笑い続けられる
他の人にこの現象について、つまり「 想像で笑えるか 」について聞いてみると「 思い出し笑いのベクトルに近いのでは?」という回答を得た。なるほど「 時間軸での問題として捉える 」と、わかりやすいということだ。
- 思い出し笑いは過去の出来事で、目の前の現実ではない、記憶という脳内での笑い。
- 想像の笑いは未来の可能性で、目の前の現実ではない、想像という脳内での笑いである。
確かに時間軸というベクトルの問題に集約されることも納得だ。
しかし、現実の出来事と、過去の出来事と、未来の想像は、異なる。現実の出来事と過去の出来事は、自分の身に起こった事実であるが、未来の想像は、事実ではない、まだ起こっていないのだから、起こる可能性があるのだ。
思い出した。
あった、似たような感覚が。
可能性で呑める。
未来の可能性を想像するだけで、酒が呑める。
未来の想像を肴に酒が呑める。

私たちの脳は、ずっと未来に対してシュミレーションをしている。それがリアルならば、リアルに想像できるならば、笑うことができる。また、未知のことに対して、どうなるかわからないことに対して、そこに頭を巡らすことで、ワクワクして、酒を呑むことができる。
私は、未来に期待して、未来を想像することで、笑ったり、ワクワクして酒を呑める。
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