「とりあえず、行動してから、考えよう」の本質
2020/10/22
知的欲求
「とりあえず、行動してから、考えよう」という行動の原動力の源泉は、好奇心、” 知的欲求 ” である。” 性欲 ” や、” 金銭欲(物欲) ” ではない。小さな子どもの頃から持っている欲求である、生存するために必要な ” 食欲 ” や ” 睡眠欲 ” ではなく、「これ何?」という知りたい欲求である。
” 知的欲求 ” によって、芽生える好奇心こそが圧倒的な行動力を生む。たかだか、いい女とセックスしたいとか、金が欲しいとか、いい車に乗りたいとかいう欲求程度じゃ、行動できない。そんな後天的に、身に付いた欲求なんて、知れている。子どもの頃から持っていた強い欲求、わからないことを知りたいという欲求によってのみ、突き動かされる。
知的欲求の赴くまま
湯浅は、2回、仕事を辞めている。
1回目は、インドに行きたくて、衝動的に辞めた。旅に出たくて、インドを知りたかったから。
2回目は、世界一周に行きたくて、衝動的に辞めた。旅に出たくて、世界を知りたかったから。
「衝動的に辞めた」というのは、次の仕事を決めないで、辞めたということだ。多くの人は仕事を辞める前に、生活の基盤である次の仕事を決めるだろう。
そんな時間と余裕はなかったのだ。
知りたかったのだ、インドを、世界を。
行きたかったのだ、インドに、世界に。
その ” 知的欲求 ” に逆らえず、
「とりあえず、インドに行ってから、考えよう」
「とりあえず、世界一周に行ってから、考えよう」
と、仕事を辞めて、旅に出た。
その ” 知的欲求 ” の思うままに進んだ。
未来のことなんて、誰にもわからないのだから。
知的欲求の結論
インドで、もっと自分の思うままに他人の目を気にすることなく、自分の価値観で生きていいということを学んだ。
湯浅は、インドを知って、自由を知った。
世界一周で、世界にはいろんな人がいて、いろんな思想があって、いろんな生活を送っていることを学んだ。
湯浅は、世界を知って、幸福を知った。
自由と幸福はわかったけど、本当の自由と本当の幸福は手に入れていない。そんなに、かんたんに手に入ったら、つまらないのかもしれない。
あのとき、行動したからこそ得られた、自由のかけら、幸福のかけら。自由のかけらを集めて、自分の自由が定義される。幸福のかけらを集めて、自分の幸福が定義される。
自由も、幸福も、相対的価値で考えられがちだけど、それは、自分で定義する絶対的価値でしか、はかれない。
自由になりたければ、自分の自由を定義しなければ、自由を得られない。
お金持ちになりたければ、自分のお金持ちを定義しないと、お金持ちになれない。
幸福になりたければ、自分の幸福を定義しなければ、幸福にはなれない。
参考
<お金>
お金の歴史と日本人のお金の思考~お金の正体とお金の稼ぎ方
お金儲けの間違った思想
<自由>
貨幣とは鋳造された自由である
自由とは概念ではなく、経済から生み出される
<幸福>
平等な格差社会と幸福の価値観と
幸福の結論
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