蚊が伝える命のバトンタッチ

知識

食物連鎖がつなぐ命のバトンタッチ

2021/10/8

教育の矛盾

私たちは「生き物を殺してはいけません」といった教育を受けて、成長していく。

私たちは、蚊が体に止まっていたら、叩いて殺す。

蚊は、私たちに痒みを与えて、不快なおもいをさせる。蚊が、私を、刺しても、痒くないなら、気にならない。見つけた瞬間に、「叩いて殺そう」とはならない。蚊は痒みをもたらすから、蚊を殺す。蚊を叩いて殺したときに、「蚊を殺した」と意識している。叩いたら、潰した、やっつけた、いろんな表現があるが、無意識下では、「蚊を殺した」として、処理されている。

私たちは、蚊を殺すことで、生き物を殺してはいけないと教育されたことの矛盾を抱える。しかし、その矛盾を意識することはない。

蚊を殺すときには、蚊を意識する。無意識に蚊を殺せない。

食物連鎖がつなぐ命

私たちは日常的に、生き物を殺しながら命を長らえている。

生き物を殺して、食べて生きている。肉、魚というわかりやすい動物だけでなく、米だって、小麦だって、植物だから、生きている。他の生き物の命を絶つことで、私たちの生きるエネルギーにしている。

私たちは、「生き物を殺してはいけない」と習うけれど、私たちは、生き物を殺さずには生きられないのだ。

命のバトンタッチという食物連鎖の中で私たちは生きている。

誰もが知っていることだ。

私たちは、

  • 牛丼や焼き肉を食べるときに、「牛を殺している」という意識を持たない。
  • トンカツやしょうが焼きを食べるときに、「豚を殺している」という意識を持たない。
  • 唐揚げや、親子丼を食べるときに、「鳥を殺している」という意識を持たない。
  • 米を食べるときに、「稲を殺している」という意識を持たない。
  • うどんやパスタを食べるときに、「小麦を殺している」という意識を持たない。

私たちは、何かの命を頂いて生きているのだ。そのことを日常的に意識しながら生きていくのは難しい。牛が殺される様子を思い描きながら、焼き肉を食べることは、できない。

蚊は、食物連鎖を伝えてくれているのかもしれない。蚊を殺すことで、チクリと無意識に感じる痛みは、普段、何気なく生きている私たちへの命の警鐘である。

私たちの命は、たくさんの命の上に、存在している。

そして、私たちは、その食物連鎖の頂上にいるから、殺されないだけだ。その階段を一歩降りれば、死と隣合わせの世界が待っている。私たちは、気付かないけど、人間に生まれただけで、ラッキーなのだ。だって、日常的に、命の危険を感じずに生きられる。

階段を一段降りたら、そこは殺生の世界が広がっているのだ。
いつ、人間に殺されるかわからない世界が。

人間に生まれてよかった、ラッキー、ありがとう。
https://junjourney.com/no-english/

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