今を生きる
2021/10/7
不可逆な世界
「子どもに戻りたい」と思っても戻れない。
お金のことを考えないでよく
仕事のことを考えなくてよく
社会の常識を考えなくてよく
世間体を考えなくてよく
親や家族のことを考えなくてよく
仕事のことを考えなくてよく
社会の常識を考えなくてよく
世間体を考えなくてよく
親や家族のことを考えなくてよく
- 時間は、不可逆である、時間を巻き戻すことはできない。
- 知識は、不可逆である、一度知ってしまったことは、知らなかったにはできない。
- 経験は、不可逆である、一度経験してしまったことは、未経験にできない。
- 記憶は、知識や経験を保存しておく装置である。記憶を忘れることはある、それは人間の機能として備えているだけで、記憶は消えずに保存されている、忘れても思い出すことができる。
子ども
未来とか、明日の概念もなく、ただ、「今、私が、ここに」いることを感じて、「今、私が、ここで」、思うままに、運動する。そこにあるのは、この世界への興味だけだ。
歩いても転ぶ。転んで泣いたりする。でも、またすぐに立って歩き出す。失敗してもすぐ立ち上がる。そこには他人の目はない。自分の意識しかない。「今、私が、ここに」いる。
いや、自分が存在していることすら、知覚していないかもしれない。
目の前の世界があって、目の前の世界に触れているだけかもしれない。
大人
狩猟採集時代は、明日の食料のことくらいの心配はしたかもしれない。でも、もっと先の未来のことなんか考えていなかったはずだ。考えてもしょうがないからだ。
未来のことを考えるようになって、食糧を安定的に確保したくなって、農耕時代がはじまり、人類は、未来のために、生きるようになった。今を喪失した。
未来のことを考えるようになって、食糧を安定的に確保したくなって、農耕時代がはじまり、人類は、未来のために、生きるようになった。今を喪失した。
「私が、今、ここに」いることを手放した。
それを手放すことの意味の大きさを気付かずに。時間が不可逆なように、一度手放したモノは、もう手に入れられないのに。
そして、今、喪失の中にいることすらも、知らないままに、生きている。「誰かが、未来の、どこかに」生きている。未来の私は、時間と共に、不可逆な記憶が付加した私だから、「今の私ではない誰か」だ。そこに「今の私」はいない。
私は「私であること」を手放したのだ。
確かに、今に意識はある、でも、それを正しく知覚できない。
頭の中には「誰かが、未来の、どこかに」しかない。
「私が、今、ここで」はない。
生きること、今を生きること。
それは、未来のためにではなく、ただ、「私が、今、ここに」いることを自覚することだ。
時は金なり
金は、失っても、取り戻すことはできる。
時は、失ったら、終わりだ。現在の意識に戻ることはない。
金は、失っても、取り戻すことはできる。
時は、失ったら、終わりだ。現在の意識に戻ることはない。
「私が、今、ここに」いることを知覚することこそ、人生であり、人生のすべてである。
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