ロジカル平和と私
2022/3/26
平和な世界
私は、物事が、論理的に、ロジカルに進むことを心地よく感じる。モノが下に落ちると安心する。モノが上にあがっていくと驚愕するように。
- 歩きながら、食べている人を見て、その人が丸めだと、安心する。
水を冷やすと、固まって氷になるくらい安心する。 - 歩きながら、ファミチキを食べている人を見て、その人が、かなり丸めだと安心する。
水を沸かすと、熱いお湯になるくらい安心する。
ロジカルは、嘘を付かない。
ロジカルを見ると、安心して「 平和だなー 」と思う。
逆に、細い人が、歩きながらファミチキを食べていると驚いてしまう。ボールが空中に止まっている様な感覚だ。ロジカルじゃない。「 平和だなー 」と思えない。
ダイエット
私は、常に、ダイエットの最中である。
- もちろん、たくさん食べることもある。だけど、その後、調整する。
- もちろん、食べて、太ることもある、その後、痩せる。
そういった意味では常に、精神的飢餓状態ではある。精神的にはずっとお腹が減っている。満腹になるまでに食べることは稀だからだ。
満腹まで食べたいけど、それを繰り返していたら、太る。太っている自分というのは、私の価値観にそぐわない。だから、私は、食事に気を付ける。常に、食べ過ぎじゃないか、考えているし、食べ過ぎだ後は、どうやってリカバリしようか考えている。
食べないのではなく、食べたら調整する。旅行では好きなだけ食べる。2日で2キロ増えたら、20日かけて2キロ減らすだけだ。選択と集中の実践である。
・私は、食べ過ぎないように制御している。
・私は、好きなときに好きなだけ食べられない。
だから、私は、人が食べるのを見ることが好きになったのかもしれない。自分が食べるよりも、美味しそうにたくさん食べる人を見ることで、自分の食べたい欲を擬似的に満たしているのかもしれない。
中年のおじさん
私は、自由に食べられる、丸い人たちに、ある意味、憧れるのだ。私も、好きなときに、好きなだけ、自由に食べたい。でも、それは、私の価値観では、かなわない。私が、太らない体質ならば、それも可能だ。私は、普通のどこにでもいる中年のおじさんだ。お腹いっぱい食べたら、太るに決まっているのだ。私は、太った私をよしとできない価値観の中にいるだけだ。
中年太りのおじさんは、男をやめたから、太っても気にしないのかもしれない。私は、男をやめてないし、生涯現役の予定だ。だから、太ることは、あり得ない。太らないように、自分を戒める必要がある。
私は、私の価値観に縛られて、食べ物の自由を手放している。自由に食べたければ、私の価値観を捨てればいい。男を捨てれば可能だ。私は、自分のアイデンティティを簡単に手放すことはできない。
私は、食欲と性欲の狭間で葛藤している動物に過ぎない。
ロジカルじゃ解決できない悩みである。
私の平和は、少し、難しい。
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