憧れの存在と自分と
2021/9/29
「憧れ」とは何か?
「憧れ」とは、手に届かない存在である。目に見えるけど、手で触れられない存在である。実在しているけど、同じ世界に居ることを、認識できない存在である。
自分にはできそうにないことを容易くやってしまう存在である。
自分の想像以上の存在である。
自分から見ると超人的な存在である。
自分の想像以上の存在である。
自分から見ると超人的な存在である。
見た目が美しい人や大富豪がいい例かもしれない。
湯浅にとっては、自由な人、自由人、高橋歩に他ならない。
「見逃して見たかったな」と思ってたTV番組がYouTubeにあった。
10年以上前のTVだけど、やっと見れた。
【R30】『高橋歩』
やっぱり、高橋歩は、高橋歩で、自由人だった。絶対にできない生き方だ。
自分には絶対できないからこそ、憧れてしまう。
湯浅は「世界一周したい」と思ってから、10年掛かった。
高橋歩は「世界一周しよう」って思って、すぐ、すべてを捨てて、行動できる。
その行動力が憧れだ。
高橋歩ほどの行動力はない。高橋歩ほど自由じゃない。
でも、湯浅淳一なりの行動力はある。湯浅淳一なりの自由はある。
憧れは憧れ、スゲー、カッケーである。
湯浅は湯浅である。湯浅は高橋歩のように生きれないけど、高橋歩も湯浅みたいに生きれない。
湯浅は、高橋歩に憧れながらも、湯浅なりの自由を求めて、「高橋歩カッケー」っと言いながら、湯浅なりの人生を歩む。
そして、湯浅なりの自由を手にして、自由人を名乗る。
自由人湯浅という存在へ
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