見栄と借金
2021/10/26
「車が欲しい」と思って買う。
「カッコいい車が欲しい」と思って車を買う。
「カッコいい車が欲しい」と思って車を買う。
見た目がカッコいい車を買う。
デカい車がいいとアメ車を買う。
早い車がいいとスポーツカーを買う。
車は、乗るためにある。
車は、移動するためにある。
車は、どこかに早く行くためにある。
車は、移動手段である。
車は、道具である。
- カッコいい車を乗って、移動する。
でも、カッコいい車に乗っているときには、私たちは車内にいる。 - 車内からは、カッコいい車のカッコよさを見ることはできない。
- せっかくカッコいい車を買ったのに、車を使っているとき、車に乗っているとき、車で移動しているとき、そのカッコよさを堪能できない。
- 車内からは、車は見えない、車内から見えるのは、外の景色である。
では、カッコいい車は、何のためにあるのか?
- 自分で使うときに、「車のカッコよさを見れない」ということは、そのカッコよさは見せるためにある。
- 自分の外にある。
言ってしまえば、見栄である。 - 私たちは、見栄を張るために、カッコいい車を高いお金を払って乗る。「高い車に乗っているんだから、お金持ちなんだな」と思ってもらいたくて、高い車を買う。
- 実際に使うのは、時間を過ごすのは、車内でしかないのに。
「カッコいい車に乗っている自分でありたい」と思って高い車を買う。借金して、ローンを組んで、自分のお金持ちをアピールする。借金なのに。一括で買えるお金がないほど、貧乏なのに。「お金持ちだ」と見られたくて、見栄を張りたくて、お金がないのに、借金して、車を買う。
私たちはそれほどまでに、社会に洗脳されている。見栄とは、本来、不要なモノである。見栄は、自己満足に過ぎない。
自己満足 = お金持ちに見られたい
→ 借金して車を買う = 貧乏
→ 借金して車を買う = 貧乏
お金持ちに見られたいのに、貧乏な行動をしている。そんな矛盾に気付かない。
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