娘という愛の形

湯浅

娘という愛の形

2020/12/11

元妻に似た人を見かける。

それは、会えない娘を思い出させる。

人生で、1番の喪失が、娘である。娘を育てられないという喪失の中で生きている。そして、これからも、喪失の中で生きていく。

俺も、妻も、自由に生きてきて、好きなことをして、もう、自分のことより、子どもを育てたいって思いの中で、誕生した娘である。

娘が欲しかったから、もう、それはそれは嬉しかったし、娘と過ごした日々は、人生の宝物である。人生で1番楽しかった時間である。

夫婦や家族は、永続的なものではない。
それは、今だから、わかることである。
当時は、当然、わかっていなかった。

例えば、大好きな彼女や彼氏がいるとして、「そのうち別れるのかな」と想像しながら付き合う人はいない。結婚を考えるかは別としても、「2人でずっと仲良くいれたらいいな」と思う。だけど、多くの恋人たちは、別れてしまう。

夫婦や家族も、それと大して変わらない。契約書があるかないかくらいの差でしかない。離婚した妻とは、他人だから会う必要はないが、娘は、血がつながった親子なので、娘と会えないのは、絶望の深淵を覗くようなものである。

モノゴトは、全て変化していく。
諸行無常である。

当たり前のことであるが、それを人は実感できない。

離婚して、娘と会えなくなって、人生の絶望の底を見て過ごす時間も、また、変化していく。

娘に会えなくて、嘆き悲しんでいた日々も、時間と共に、「娘が幸せならいいな」と、自分が、娘に会えない辛さより、娘の幸せを願える。

「あの時の俺じゃ、あの時の俺たち夫婦じゃ、娘をうまく育てられなかったのかもしれないな」とすら、達観できる。

それは、モノゴトが変化していくからだし、どんなことでも、時間によって、逓減していく。
これは、自然の摂理である。

ただ、娘への会いたくても会えない現状を、心が認識して、理解して、納得して、得たのは、それは、愛の結論である。

愛の結論?

それは、「愛を証明したい」と思うこと。
愛を証明するための方法を考える。

インターネットという海に愛を叫ぶ。
インターネットのいう海は広大だから、愛を叫んだって届かない。

インターネットという海に愛を叫ぶ。
ブログにラブレターを書く。愛してるという伝えられないおもいは、文章にして海に投げる。

インターネットという海に愛を叫ぶ。
ペンネームから、本名に変える。
いつか、娘が探したときに、すぐに辿り着けるように。
自分の父親がどんな人間かを知るために。

インターネットという海に愛を叫ぶ。
本名でやって、娘に、ダサいとか、会いたくないとか思われないように、インターネットを漂う。人の否定はしない。人の批判は多様性として受け入れる。自分の発言が、娘に対して恥ずかしいものでないかを考える。まぁ、100%できるわけでないけど、そうやって、発信し続ける。

インターネットという海に愛を叫ぶ。
世界で一番愛しているし、もう会えなくても、幸せを願っているよ。

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