『好き』は『得意』を凌駕する~おふくろの味の向こう側
2020/11/14
母は、料理は上手な方であるけれど、「作ったことがないからわからない」とよく言う。いや、すべての料理は、自分が作ったことないから、はじまったから、そんなの当たり前である。自分が作ったことがある料理しか作ってなければ、レパートリーも広がらない。
ただ、料理を作る時に、ググればいいという文化、世代との格差もあるだろうが。
自分が作ったことのない料理を作って失敗して、また、挑戦してっていうことを繰り返しているうちに、だんだん料理のコツがわかってくる。知識は蓄積する。
もはや、料理のレパートリーも、スキルも母を超えた。人生において作ってる量は、俺の方が圧倒的に少ないけど、俺の方がいろんな料理に挑戦している。
そして、俺は、どうしたら、もっと美味しくなるかを料理を作るたびに考えている。漫然と料理を作ってない。それは、差が付くのは当然だ。
多分、母の得意料理を超える日も近い。それは、悲しいことだ。誰だって、おふくろの味は、大切にしたい。でも、おふくろの味を超えてしまうことは止められない。
それは、俺の料理が好きな気持ちの方が、母よりも強いからだ。料理が好きな俺を、料理が得意なくらいの母は超えられない。
俺の料理歴20年、母の料理歴40年
悲しくも、俺は専業シェフじゃないけど、ただの料理好きだけど、母の10倍以上のレパートリーがある。それは、ただ、努力したか、努力しなかったかの差でしかないけど、俺の努力と、母の努力を比べるのは、流石に違うかなとも思う。
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