2021/6/14
日本社会
バツイチくらいになると、カテゴリが意味をなさないことを知る。
- 彼女?
- 妻?
- 離婚して他人
友達は、死ぬまで友達だ。
カテゴリは、変わらない。
でも、好きな人は、変化する。
- いいなと思う、デートする、好きな人になる。
- 好きな他人と、付き合えば、彼女になる。
- 彼女として、一緒にいて、ずっと居たいなら、妻になる。
- 妻として、一緒にいて、無理なら、離婚して、他人になる。
自分が与えられた家族、父親・母親・兄弟は、変わらない。
- 自分が創った家族だけが変化する。
- 自分が選んだ相手だけが、カテゴリが変化する。
そのカテゴリを、決めているのは、社会だ。
社会という価値観によって、カテゴリを、認識している。
世界は?
フランスでは、結婚しなくても、子どもを創る。結婚という制度が、社会のカテゴリに捉われない。
- 僕は君が好きだよ。君も僕が好きかい?
- そうしたら、2人の愛の化身を創ろうよ。
- 今、僕らが愛し合っていることを形にしよう。
それを国が認めていて、保証してくれている。
結婚というカテゴリは存在しているが、それよりも、愛し愛される間だけ、一緒に居ようという価値観が、根付いている。だから、カテゴリに固執しない。
愛するということ
人を、誰かを好きになる気持ちを、制御する必要なんてない。
なぜ、自分の心の声を社会に曲げられなければならないのか?
「人を好きになる」「誰かを好きになる」という自然な気持ちは、曲げなくていい。
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