愛の言葉たち

湯浅

愛の言葉たち

2021/10/5

愛情の種類

「かわいい」と言う言葉を表現するとき、体を使って、その愛おしさの度合い伝える。

目に入れても痛くないほどにかわいい
食べてしまいたいほどかわいい

どちらも、相手を愛おしく思うときに使う表現だ。

でも、使う場面が違う。使う相手が違う。

自分の子どもに対して、「目に入れても痛くないほどにかわいい」と言う。
実際に、目の中に入れたら、痛いのだが、「その痛みを超えるほどかわいい」という表現である。

そこにあるのは家族愛である。

血のつながった自分の子どもは、「食べてしまいたいほどかわいい」とは、感じない、思わない。

「食べてしまいたいほどかわいい」のは、血のつながらない異性だ。
自分の好きな相手である。
恋人の初期段階である。
愛おし過ぎて、自分の一部としたいくらいだ。

そこにあるのは、性欲である。性交とは、二人が一つになる行為である。そして、性欲は、食欲と密接に結び付く。食べ物を食べることは、「食べ物と自分を一つにする」ことだ。つまり、食べることによって、「自分と相手が、一体となりたい」という欲求であり、「自分と相手との境界がなくしてしまいたい」という愛の形である。

一つになりたい → 一体になりたい → 境界をなくしてしまいたい

歪んだ愛の形だ。

でも、それは時として、自分の子どもへの愛、目の中に入れても痛くない愛を凌駕する。

女性への愛

「死ぬほど愛してる」

女性は、「死ぬほど愛されたい」と願う。男性の自分自身を超えた存在として、「私」を愛して欲しいと願う。「私を唯一無二の存在として、扱って欲しい」と願う。その表現が、男性からしたら、「食べてしまいたいほど愛している」である。

  • 女性が、男性に「食べてしまいたいほど愛している」と言われたならば、それは、誠の言葉であり、愛である。
  • 女性が、男性に「死ぬほど愛してる」と言われたならば、それは、偽の言葉であり、不倫である。
・「食べてしまう」は、実現不可能である。
・「死ぬほど」は、実現可能である。

『「死ぬほど愛している」なら、奥さんと別れて』となるのが不倫の道理だ。男性が「いや、それは…」と言ったら、それは、「死ぬほど愛してる」とはならない。奥さんの次にしか愛してないことになる。実際は、別れる気がないから、実現できない言葉しかない。

X「死ぬほど愛してる」
○「食べてしまいたいほど愛している」

愛の分量は違うように感じるかもしれない。
ただ、そこにあるのは、愛の表現の違いだけだ。愛の量は変わらない。

「死ぬほど愛してる」なんて言えないけど、「食べてしまいたいほど愛している」じゃダメ?

愛は言葉だ。
言葉が愛だ。

「食べてしまいたいほどかわいいね、愛してる」

何か、愛に飢えているのかもしれない。

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