ルールを守らないのを指摘するのは、知能の低さを公言しているということ

知識

ルールを守らないのを指摘するのは、知能の低さを公言しているということ

2020/9/26

ルールと日本語と

ルールを守らないのを指摘するのは、知能の低さを大々的に、公言しているようなものだから、止めた方がいい。

カフェで作業をしている時のこと、隣におじさんが座ってきた。’ 世界的流行風邪 ‘ のせいで、席の間隔を空けるので、使用禁止になっている席がある。湯浅の隣の席は、使用禁止のマークが貼られている席だ。

わかる。

湯浅も、最初、その使用禁止のマークが貼れらている席に、気が付かないで座っていたからだ。机に、大々的に、赤い禁止マークが貼ってあるのに気付かないことがあるのか?

全然ある。

湯浅は、基本的に、作業に入るまで、ビジネス系YouTuberを聞いているので、耳に全神経を集中させているので、視界からの情報が目に入っていても、素通りするだけである。認知はしても、認識はしない。

湯浅は学んだ。
橘玲著『もっと言ってはいけない』
日本人の30%は日本語が読めない。

隣の席に座っている人は、日本語が読めないのである。日本語を読んで理解するというのは、特殊能力なので、それが、できない人もいる。そして、ここのカフェは、カフェとか言ってるけど、ただのマクドナルドなので、八王子のマクドナルドなので、民度が低い人も多い。

湯浅は学んだ。
中野信子著『人は、なぜ他人を許せないのか?』
知能が低い人が、多様性を享受できず、ルールを守れない人に、注意する。

隣の人が、日本語が読めたとして、ルールを守らずに、使用禁止の席に座っていても、別に、どうでもいいことで、湯浅には、全く関係ない。日本人は、くだらないルールに厳格過ぎる。世界は、自由主義の上に宗教が乗っかってできてるので、ルールが明確化されていて、わかりやすい。

認知と認識

昔、友達と話していた時のこと。友達が仕事で関わる人が、日本語が読めない人が多くて、大変そうだった。なぜ、そんなことも理解できないんだろうって、話してた。でも、今は理解できる。

認知と認識は違うし、認識と理解も違うし、理解と納得も違う

日本語を読むためには、
日本語が書いてあることに気付く(認知)
日本語で書いてあることを読む(認識)
日本語で書いてあることがわかる(理解)
日本語で書いてあることが、潜在的に、自分が好きか嫌いか判断する(区分)
好きな場合、日本語で書いてあることを行動に移す(納得)
嫌いな場合、日本語で書いてあることを行動に移さない(無視)
日本語の ” 認識 ” や、” 理解 ” ができなくても、” 無視 ” という行為に至る。

マネーリテラシー

嫌いなことは、脳に負荷がかかる。知能の低い人は、脳に負荷がかかることを嫌う。宝くじ、競馬、パチンコなどのギャンブルにハマる人は、知能が低い。ギャンブルは、必ず、負けに収束するだからだ。(胴元の取り分が引かれた後のマーケットは、マイナスサムゲーム)

知能が高い人は、投資をしている。短期的な売買ゲームの投機ではなく、投資をしている。そもそも、知能の高い人 の家庭は、マネーリテラシー が高いので、お金の教育を施されている。本当の知能の高さや家柄は、大学名や住んでいる地域ではない、マネーリテラシーである。お金の効率的な増やし方を知っている。人が労働するのではなく、お金に労働させて、お金にお金を稼がせるという、お金の最適解を教育されている。

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