【本要約・感想】男であれず、女になれない

【本要約・感想】男であれず、女になれない

2021/6/11

性別という虚構

自分から性別を除外したら?
自分が自分であるというアイデンティティは、自分の人生から性別を除いても、変わらないか?
見解

セックスしない。
親になることもない。

人生に於ける、重要な要素、重大な楽しみの喪失

それでも、自分は、「自分足り得るか?」

セックスも、子を養育するということも、生きていく上での前提である。
否、仕事をする上で、いや、仕事の前提である。

  • 若くて可愛い女と酒を呑んで楽しい時間を過ごして、もしかしたら、セックスできるかもしれないから、仕事をしてお金を稼ぐ。
  • 子どもを養育して、子どもと遊んで楽しむために、仕事でお金を稼ぐ。

この両方が相反するという倫理観は、さておき、仕事という価値観が、いよいよ不明になる。

自分から性別を除外したら、仕事と自分の間に、扉が降りてきた。

「サピエンス全史」で、性別というカテゴリは、虚構だと知った。

でも、その虚構の中で生きてきたならば、その虚構がなくなってしまうことは、自我の欠損となる。虚構をずっと信じて生きてきたならば、それは、自分にとっては、かけがえのない真実となる。

自分は、性別という虚構なしには生きられない。性別は、自己のアイデンティティとして、必要不可欠だ。自分が生きていく上で必要な虚構もある。

【本要約】まんがでわかるサピエンス全史の読み方
人間は、虚構を信じてしまう。人間の恐ろしいところは、みんなが信じることで、虚構が現実となるところだ。そして、その虚構を信じる根底にあるのは、他人を信じることである。

人生の意味

自分のための人生を惰性で生き続けるには、残りが長すぎる。
だから、自分が生き続けることに意味を与える。
どんな人でも、人と人とが繋がっていけるような世界に、変化させる。

見解

言葉の表現が独特だから、その意味を正しく捉えるには、思考を伴い、時間を要する。
でも、独特な個性は、その人の魅力だ。

選択と希望

自ら決めて、自ら選んだことだけど、自ら望んだことではない。

生まれたままでは生き続けられなかった私が、敗北を実感するためだけの、それでも私の人生に必要だった茶番とも言える選択である。

ただ生き続けるために、敗者としての人生を自分に赦した。

男であり続けるための証を消して、女の身体を自覚するための何かを足すこともなく、性を放棄した。

女になりたいわけじゃない、私は私になりたかった。

それは、親になる未来への放棄でもあった。

見解

新しい価値観のインストールである。
性を放棄した新しい自分が、自分のあるべき姿だという自己認識である。

それを「敗北」と言った。
敗北の真意は、親になる未来の放棄を言っているだろう。

「親から生まれた自分が、親になることを放棄する」という自己否定を、敗北と言っているんだろう。

自己追求の深淵が、言葉に表現されている。モノ書きとして、わかる。この言葉たちは、著者の琴線を表現している。だから、他の誰にも書けない文章である。命の声は、心を打ち、魂を揺るがし、思考を変化させる。わかる、この本を読む前と、読んだ後は、違う自分になる。

自己喪失

男子に生まれながら、男子に課せられた規則に対しての拒否権があるなんてことを覚えずに育ってきた。

義務教育
既存社会に於けるジェンダーの刷り込み

高校二年生で、男子クラスになった。

「自分の周りが男子だけという環境」に身を置き、「自分の所属がそこなのだ」と突きつけられた時、身動きがとれなくなってしまった。

現実を受け止める容量を遥かに超えた事実に困惑し自らを見失った。

それは、確固として持ち得ていなかった男性性の自覚を求められ続けていたからだ。

そして、高校中退する。

高校中退は、「知っているけれど、自分とは交わることがない」と思い込んでいた世界だった。
それが、人生にも起こる。
当たり前の概念が崩れ去った瞬間である。

見解

高校生に知識を求めるのは酷である。

しかし、自分の状況を理解して判断するためには、やはり、知識が必要である。原因不明のモヤモヤは、知識という道具でしか、晴らすことはできない。一方で、著者の場合、知識に答えがない、新しい世界の価値観であるが。

湯浅にとっての離婚のようなことか。
「離婚」という言葉は耳にしたことがあったけど、それがまさか、自分の身に起こるなんて、思ってもみなかった。

困難の海

困難の渦中にいる時に、人は、「自分を取り巻く今の状況こそが苦しみだ」と理解する。しかし、通り過ぎた困難を振り返ることができるようになった時、それは、より根本的な本質によって引き起こされたことに気付く。

見解

正しさとは、未来から振り返った時に、評価できる。自分のことも、同じである。もがき苦しんでいる現状の答えは、未来に振り返った時にわかるはずだ。

自己知

努力で変えられない、否定することもできない。そんな世界に存在していることを自覚する。

なんだかんだで決まる時は、すんなり決まるのだから、終わるのは今じゃなくていい。

見解

自己知によって、現実世界が、今ある現在が可視化された。それは、未来への希望となる。

性自認

性自認という、自分の人生の軸と向き合う。

誰もが、そんなことに迷いもせずに受け入れている性別という、カテゴリである。
その性別という社会のカテゴリと、自分の認識のすり合わせの旅がはじまる。

居場所を探す旅である。

  • 理解は努力で求めることができる。
  • 共感は努力で求めることができない。

自分が共感できる場所を探す。
社会のどこかに自分が共感できる場所があるはずだと信じて行動を続ける。

生まれた時から自然に与えられているはずの性に対する自覚が未だに定まらないというのは、抱えようのない不安であった。

自分に合うセクシャルマイノリティのコミュニティは、探せど探せど、見つからない。自分の1番心地の良い場所は、セクシャルマイノリティのコミュニティではなく、日常にいる友達だった。友達は、男でも女でもなく、人として受け入れてくれた。

私の人生の主語は、私であって、性別ではなかった。

辿り着いた答えは、
「私は男であれず、女にはなれない」

自分という個体は、セクシャリティーという社会の概念では、捉えることができない。セクシャリティーに関することは、自己問題として、許容するしかない。社会の枠組みの中には、存在しない、自分という個性がある。

みんなは女子で、私は男子。帰る場所を持たない、行く先もない。

女性に生まれなかったことで得られなかったことは、女性になることで得られるものではない。だから「女性になりたい」と言うことができない。私の望むものは、女性に生まれることでしか手にすることができないものなのだ。
見解

モノゴトの本質は、複雑だ。

  • 女性に、なりたいではなく、女性に、生まれたかった。
  • 変化を通してのゴールではなく、存在としてのスタートである。

この世に生まれ落ちた時点で、人生はスタートしている。過去には戻れない。人生という ” すごろく ” には、スタートに戻るというマスは存在しない。だから、もう、過去の事実を受け止めて、諦めるしかない。

人生で、変化させることができるのは、未来だけである。過去の事実は、変化させることができない。未来だけが、手に入れられる。そして、手に入れられるものが、未来に存在することを希望という。手に入れられるものが、未来に存在するということは、それだけで、幸福なのだ。

自由の定義

人は私を自由だと言う。

スーツひとつ着て仕事ができないような男の何が自由だ。何の抵抗もなく、当たり前のように、スーツを着られる男の方が、よほど、自由である。

自由とは、何にも抵抗を感じないことだ。

生きにくい社会で、自分ができることを探す。自由を背負って、不自由と奮闘している。

見解

自由とは、ルールからの解放だと思っていた。
なるほど、ルールに抵抗を感じないことも、また、自由と呼ぶのか。

社会が決めたお金を稼ぐために働かなければならないというルールがある。
そのルールの枠外で生きていきたいから、経済的自由を欲している。

そもそも、「お金を稼ぐために働かなけばならない」というルールに、疑問を持たず、抵抗を感じなければ、それは、1つの自由の形なのか。

  • 働きたいから、働いているのだ。
    働かないと暇だもんな。
  • 多くの人は、働かないで生きていく自由を欲しない。
  • 働かないで生きていくことは、お金の問題じゃなくて、難しいことなのだ。
    自由は、難しいのだ。
    我々は、自由を欲しないように、教育されてきたのだから。

社会

少数派は、立場が弱い。世の中は、多数派によって運営されているからだ。だからといって、それが正しいわけではない。仕方のないことでもない。

見解
  • 自分とは思考が違う「多数派によって、世の中が動いている」という事実を受け入れること。
  • 自分は少数派だから、生き辛いのは、しょうがないと諦めること。
  • 多数派のルールの中で、どうやって生きていくのかを、考えること。

プライド

どんな困難があったとしても、どんな理不尽があったとしても、それでも譲れないものがあることを、プライドがあるという。

見解

湯浅にとってのプライドとは?

数字だろうな。
数字は客観的だから、人にも伝わりやすいし、評価の対象になる。

  • 学生の時は、テストの点数である。
  • 社会人は、年収である。

年収が下がるなら、会社を辞めるのは、プライドがあるからだ。

湯浅にとって、プライドは、正しい。
プライドとは、信念だ。
信念で行動できなきゃ、ただの奴隷だ。

ひとつとひとり

たったひとつだという言葉は、たったひとりだという言葉

見解

オンリーワンは、唯一の個性であると同時に、その個性は唯一ひとりという言葉である。

湯浅は、この著者の気持ちに共感できるほどの何かは持ち合わせていない。でも、これほどの孤独は、常人なら、死を選んでいることくらいはわかる。

人は社会性の生き物だ。だから、自分が属する社会がないというのは、本能に反している。進化論的には生き残れない個体だ。

事実は小説よりも奇なり

自分という個体は、何の特徴もない個体であることを認識させられる。

愛する

ひとつ残らず憧れた。

ひとつ残らず羨ましかった。

その悩みも喜びも、生き続けるために手放したものだったから。

人を愛することを。

見解

家族は、作られた家族と、作る家族がある。

  • 作られた家族は、自分が生まれながらにして手にしている家族である。親と兄弟である。
  • 作る家族は、自分が伴侶を選んで、作る家族である。伴侶と一緒に、新しい家族を作ることである。

著者が、生きいくために必要なことは、作る家族の放棄である。

本能を理性で放棄する。それは、自分の意図ではない。生きるための術だ。

強いな。
強い人だ。

自分の道がはっきりと見えている。
生きるために必要なことが見えている。

僕らが、一生、辿り着けない向こう側にいる。

自己受容

大好きな人の幸せを願う自分でありたい。
大好きな人の幸せを願えない自分がいる。
それは、自分を愛していないから、自分を受け入れていないから。

見解

誰だって、理想の自分と、現実の自分は、かけ離れている。そんなことは、わかっている。

ダイエットしなきゃ、食事控えなきゃ、健康に気をつけなきゃ、酒控えなきゃ、運動しなきゃ、、、

でも、できない。

それが、人だ。

全ての原因を、性に求めてしまうあたりに、著者の悲哀を感じる。

それって、別に、性の問題だけが原因じゃない。みんなが悩むことだけど、その原因を性にしているのは、自分自身じゃない?

他人だからこその見解である。

決着

結果を求めた時の過程は、結果が手に入った時点で忘れ始めてしまう。

男と女という性別自体の放棄である。

心の性に体の状態が一致してないというのまでは合っている。しかし、性は男と女で構成されている前提の性同一性障害とは異なる。

自分が男であることに対して、命を対価にするくらいの違和感があった。

体を変えるのは女性に近づくためじゃなく、男性から遠ざかるため、自分に近づくため。自分の性を男でも女でもないと自認したから、体もその状態に近づけたいということ。

体を現状のままに留めるなら、男でも女でもない性が許されるグレーゾーンである。
しかし、行く先を持つなら、2択の選択を迫られ、グレーゾーンは許されない。グレーゾーンは、2択の選択の惑いの中という思想しかない。

見解

社会は、白か黒というカテゴリを用意していない。社会は、完璧ではない。法律は、これまでの事実の積み重ねでできたルールである。

同一性障害は、昔は、病気だと考えられていて、治療が行われていた。今では、それは、病気ではなく、多様性の中の個性である。

ルールは、必ず守らなければならないという日本人的発想からは、ここに辿り着かない。

この本に出会うこともない。もちろん、読むこともない。

守った方がいいルールも、もちろんある。人を殺したり、人のモノを盗んではいけない。
でも、小さなルールを、守れない時もある、信号とか、スピードとか、廊下を走ったりだとか。

そして、人は殺してはいけないが、堕胎は見逃されているのが、現実である。
法律も完璧じゃない。だから、法律のグレーゾーンという言葉がある。

いつからか、書類の男女の箇所に丸を付けるのを必要でない限りは、止めた。自分の性が、何であろうと、この書類に関係ないよね?性別に丸を付けたくない人への共感を込めた自分の意思表示として。

  • 法律や、ルールに絡めとられない世界
  • 個人が自分の思想で生きられる社会

そんな世界を求めて、湯浅は、筆をとって、文字を綴る。

自己支配

  • 自分以外が決めたこと
  • 選べずに与えられたこと
  • 自分には何もできないこと

そこからの脱却である。
与えられたことから、自分で決めたことへの変容である。
心も体も自分の管理下にあるという証明である。

見解

与えられたモノを、与えられたモノとして、受け入れられない世界観。
与えられたモノへの違和感。
自分を自分足らしめるための決意と行動。

未来放棄

この人生で、親になる可能性を、自分の手で完全に手放した日

見解

自分の体を変えること = 未来の可能性の放棄

親になることよりも、自分になることを選んだ。

「自分になる」ために、「親になる」という選択肢を手離さなければならない、世界線である。

自己肯定

存在の確認は、過去と未来の在り方を証明する。

手術に賭けたのは、男性器という肉体の一部のどころではない、命であり、これまで生きてきた人生の全てであった。

男性の肉体との訣別とは、過去の人生との訣別ではない。過去の人生は、過去の肉体があればこそである。そこに、自己否定はなかった。

性の同一性ということよりも、自分の同一性という答え
見解
手術で得たのは、「男でも、女でもない、無性」という身体だけじゃない。
自己の全存在を掛けた手術は、自分の同一性である。
  • 身体と思想という自己認識の同一性である。
  • 自分の過去・現在・未来という人生の同一性である。

凡人という個体である僕たちが、当たり前に手にしているモノは、「性自認」「自己認識」「自分の人生という意識」は、著者にとっては、命を掛けて、身体を切り刻み、性を手放し、親になるという本能を手放してしか手に入れられなかったモノ。

モノの価値は、絶対ではない。相対比較することで、その価値を認識することができる。

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